ヤケボックリ

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 『阪急ブレーブスの投手、山田久志は「リーダーとは?」という問いに「だろう」と答えた。「心情と書いて情けもあるし、心配といって心配りもある。選手の心を動かし、自身の心を貫いた。西本さんは育てながら勝つ人だった、悲運の名将といわれる西本行雄だが、あまたの名選手を育て上げた功績は輝き続ける(日刊スポーツ「監督」から)。』

 燻銀のようなプロ野球選手の中に、巨人軍に、与那嶺、柏田、藤尾などがいた時代がありました。私は、「野球小僧」ではなかったですし、テレビ以前のラジオでしか中継を聞けなかった時代の野球フアンでした。Pro wrestler には体格的に無理でしたが、プロ野球の選手だったらできそうに思えたのです。あの時代の子どもの「夢」でした。

 子どもの頃の「遊び」と言えば、2塁のない、グローブなどの道具もない、ゴムマリでする〈三角ベース野球〉でした。夢中で打って、捕って、走って、投げては、日没まで遊んだ日のです。学校でもしましたし、近所の空き地や広場でもしました。向こうの家の窓ガラスを割ってしまって、ガラス屋に行って寸法通りに切ってもらって、自分たちで、窓枠にはめ込んだのです。

 父が、沢村やスタルヒンを知っている世代で、家の前の道路で、キャッチボールをして遊んでくれたのです。そんな背景で、すぐ上の兄は、高校では、甲子園を目指して野球をし、その夢を叶えられなかった「野球小僧」でした。

 そんな野球で、川上、長嶋、王、原などのような、輝かしい脚光を浴びた、スター選手とは違って、目立たなかったのですが、貢献度の高い選手が魅力的で、贔屓(ひいき)だったのです。自分がスター選手にはなれそうにありませんでしたが、子どもらしくない〈選手観〉を持っていたのかも知れません。

 よく聞くのは、2リーグ制の日本プロ野球で、《華のセ・リーグ》に対して、〈日陰のパ・リーグ〉の方が、野球は面白いのです。パ・リーグで、関西圏の鉄道会社が経営した、「阪急ブレーブス」と言う球団がありました。今の「オリックス」の前身です。冒頭に紹介して、お名前が出てきた、「西本幸雄」の監督としての采配した球団でした、この方が好きでした。「名将」だったのです。

 その後に、同じオリックスの監督だったのが、「仰木彬(おおぎあきら)」でした。この方も、いまだに話題になっていて、多くの選手、報道陣に慕われていました。テレビを持たない我が家で、時間ができた私は、プロ野球の面白さの「ヤケボックリ」に、子どもの日のごとくに、火が付いたようです。

 昨晩、ジャイアンツが負けて、ヤクルトが、「日本シリーズ」に進出が決まって、「オリックス」と戦うことが決まりました。そして、上の息子と同い年の「新庄剛志」が、来季の「日本ハム」の監督にになり、この方が、どんな選手を育て、用いるかが楽しみです。

 父が、テレビ中継が終わった後、耳にイヤホンをして、ラジオ中継を聴いていた姿が懐かしく思い出されます。〈巨人フアン〉でした。昨晩、一日の家事が終わって、シャワーを浴びてから、父に真似て、非常時用のラジオに、イヤホンをつけて〈ニッポン放送〉を聴いてしまいました。

(「イラストAC」からです)

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