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 「引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある 私は心の中で言った。神は正しい人も悪者もさばく。そこでは、すべての営みと、すべてのわざには、時があるからだ。(伝道者の書378節、17節)」

 落語の話だったと思いますが、『一昨日(おととい)来やがれ!』と言っていました。二度と来て欲しくない嫌いな相手への罵声で、明日や明後日だと来てしまうので、過ぎ去ってしまった「一昨日」と言うのでしょう。また、見当違いのことを、『明後日(あさって)!』と言ったりします。この様に、「日」や「時」に関する諺が、結構多くあります。

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「明日の事を言えば鬼が笑う」

 先のことはわからない。未来のことは予測できないというたとえ。きっと明日が分かったら、怖くて生きていけませんし、逆に嬉しくて、手にものがつかなくなってしまいます。もしかしたら天井のネズミが笑うのかも知れません。

 「一日千秋の思い」

 三週にあげず、蓬餅が身体にいいと持参して、母の病状を尋ね、激励のために、次男が親元にやって来たのです。元気になってきた今、コロナ禍の今でもあるので、週末に近づくと、家内と私は、『来るかなあ?』と思ってしまいます。待ち焦がれて、一日が千年もの長さに感じられることを言うのだそうです。

「昨日の今日」

 あまり時間が経っていないことのたとえ。その出来事があってからまだ一日しか経っていない今日との意からそう言います。いい意味で、時の過ぎゆくのを、そう感じたいものです。

「昨日は嫁、今日は姑」

 時の流れが非常に早く、人の境遇も変わりやすいということの意味。思ってもみなかった病を得て、身動きのできない今を迎えても、移り変わりのこの世にいることを、恨まないで感謝できるのは素晴らしいことと感じて生きています。嫁に行った娘たちが、四十代の今を迎えているのに、当然でありながら、『もう!』と思う親心です。

「今日の一針、明日の十針」

 すぐにしなければならないことを先延ばしすると、余計に手間がかかるということのたとえ。今日なら一針縫えば済むのに、明日に延ばせばほころびが広がり、十針も縫わなければならなくなるという意から。私の母は、〈明日伸ばし〉をしない人でしたし、人任せや人頼りしないで生きた人でした。今日の一針に生きたのです。

「紺屋の明後日(こうやのあさって)」

 約束の期限があてにならないことのたとえ。「紺屋」は染物屋のことで、もとは「こんや」とも言いました。染物屋の仕事は天気に左右されるので、出来上がりが遅れがちでいつも『明後日には出来上がります!』と言い訳していたのでしょう。

「千日の旱魃、一日の洪水」

 ドイツや中国でも、大雨と洪水の被害のニュースが伝えられています。千日も続く日照りと、たった一日ですべてを流してしまう洪水とは、同じくらいの被害をもたらすということ。水害の恐ろしさをいった言葉。近年、それを実感しています。どなたも、これからの台風の季節の到来を心配して、空を見上げています。

「山中暦日なし」

 山の中で俗世間を離れて暮らしていると、月日の経つのも忘れるということ。「暦日」は、月日の意。退職し、帰国し、家内が闘病して通院が続いて、北関東に住み着いていますが、6週に一度の通院日を中心に日が過ぎて行き、日を迎えています。『今日はなん曜日?』の感覚が薄くなってしまい、「ゴミ出し日」が注目曜日になってしまっているのがおかしいのです。

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「十日の菊、六日の菖蒲」

 誕生日を忘れられて、数日経ってから、『おめでとう!』では喜びが薄れてしまうことがありました。時期に遅れて役に立たないもののたとえ。 9月9日の「重陽の節句」に用いる菊は、9月10日では遅く、5月5日の「端午の節句」に用いる菖蒲は、5月6日では間に合わないとの意から。後手になることなのでしょう。

「三日見ぬ間の桜」

 綺麗だったオードリー・ヘップバーンの晩年の写真を見て驚きました。そんなに年月が経ったのかと思ったのです。世間の移り変わりが激しいことを、桜の花があっという間に散ってしまうことに掛けて言った言葉。 もとは江戸時代の俳人、大島蓼太の句「世の中は三日見ぬ間に桜かな(三日外出しなかったら桜の花が咲きそろっている)」から。自分のことはさておき、突然、友人たちの今を見たら、その変化に驚くのでしょうか。

「猫は三年の恩を三日で忘れる」

 猫は三年飼われても、飼い主への恩を三日で忘れてしまうくらい薄情な動物だということ。で人間はと言うと、どうでしょうか。〈ただ飯〉を知っている青年が、わが家に出入りしていました。アメリカ人宣教師に手厚くもてなされて、私たちの所に、夕食になると来たのです。豊かでないわが家の食卓に着いて、『今日はこれだけ?』と言ったことがありました。いつの間にか来なくなり、噂で結婚したと聞きました。ある方は、月一の営業で、わが家に顔を出し、食事でもてなしたことが何度もありました。『結婚しました!』と言って、愛くるしい女性を連れてきて、紹介してくれたのです。退職して鹿児島に帰ると言って、別れの挨拶に来ました。人様々です。

「花七日」

 盛りの時期の短いことのたとえ。桜の花の盛りが七日しかない意から。150円で、カインズで家内が買って来て、時期が来て植えた苗が、見事な花を咲かせたのが、” Samantha “ でした。普通の白いユリだとばかり思っていたのが、八重に咲いて驚いてしまいました。でも咲き始めてから五日ほどで容色が衰えていきました。花の命の短さに、今更ため息をついてしまったのです。でも潔くパッと咲いて、パラリと散ったのは見事でした。

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