わが栃木市の紹介です。今は、宇都宮が県庁所在地になっていますが、栃木県の県庁は、維新間も無くの間、栃木市に置かれたことが、短期間ですがありました。時の県令三島通庸(薩摩藩士)の決定によって、宇都宮県が栃木県を吸収する形で、県都が宇都宮市になった経緯があります。当時の自由民権運動家たちが栃木にいたことが、三島県令の不興を勝ったと言われています。
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小山や茨城の結城市にも、民権の士がいて、1884年に起きた「加波山事件(三島県令の暗殺計画)」に関わっています。渡良瀬川汚染の足尾鉱毒を訴え、天皇に直訴した田中正造も、その一人でした。気骨ある分子が、ここ栃木にはいたことになります。
この三島は、那須野が原を開拓奨励した人物で、第四代の警視総監(東京府警視庁)をし、在任中の54歳で没しています。御多分にもれず、薩摩藩の下級藩士でしたが、幕末の薩長主流の討幕活動に功があったのでしょう。強引さを揶揄される自民党の麻生太郎は、三島の玄孫だそうです。明治維新後は薩長の世であったことになります。
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まさか、自分が栃木県民、栃木市民になるとは思いもよりませんでしたが、「栃の木」を県木、市木とし、「八染躑(ヤシオツツジ)」を県花とし、「紫陽花」を市花とし、「大瑠璃(オオルリ)」を県鳥、「鴨」を市鳥とする県や市に住んで、それらしく生活をしております。
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県南の小山、足利、佐野、今は日光市になっている足尾、渡良瀬川遊水地などは訪ねたことがありますが、県北の那須ケ原方面に入ったことがありません。そこには、御用邸があり、乃木希典が住んでいた住居があったそうですし、家内の恩師が始めたアジア学院もあったり、また県東の那珂川町には、那珂川町馬頭広重美術館があるそうです。その他にも、興味を惹く地があります。追々、訪ねてみたいとの思いがあります。
(オオルリ、栃ノ木、ヤシオツツジ、栃の実、大平の紫陽花です)
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