居心地のよさ

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 「なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。 (ローマ1417節)」

 「居心地」がいい場所って、天然自然が溢れている山際とか海辺とか、静かとか、あるいは便利など、生活と関係がありそうです。でも一番は、「人」でしょうか。だれかと一緒にいると居心地が良くなる、やはり心理的な雰囲気にかかっていそうです。

 父や母と過ごした家は、狭かったのです。戦時下、出雲、朝鮮京城(ソウル)や山形を経て、中部山岳の山村で、鉱石の採掘、搬出をし、戦後は、県有林の払い下げで、材木を東京方面に送る仕事を父がしていて、建築材は自由に使えたのに、公私を分けていて私物化しませんでした。東京都下に、建売の一軒家を買って住んだのです。一家6人には狭過ぎましたが、すぐ上の兄は仕事と大学で高校卒業と同時に、上の兄は大学を出て、その家を出て行ったのです。

 残った四人の住み続けた家は、中央高速道路の路線下で、立退きになって、別の街の建売を買って住んだのです。父の生まれた家は、大きな家でしたが、父には、大きく立派な家に住む願いは全くなかったのです。父が尊敬していた方が、会社の役員でありながら、同じ様な手狭まな家に住んでいて、それに父は倣ったのだそうです。

 狭さが苦痛にならなかったのですが、かえって近過ぎての度重なる衝突が、今になると懐かしくて仕方がありません。親や兄弟と過ごした期間は、随分と短かかったのだと思い返しています。それなのに、結婚した糟糠の妻とは、五十年が過ぎました。おとなしい羊の様な家内と、猛々しい虎の様な私とは、馬があっていたのか、一度だけの羊の脱走で終わりました。

 散歩途中に見付けたスーパーマーケットに入りましたら、「ラム(仔羊の肉)」が売っていて、最近は、時々、それを買って帰宅しています。お世話くださったアメリカ人宣教師が、オーストラリア産を、box で買われて、よく分けてくれましたので、子どもたちの身体の一部は、その肉と野菜、時々のオジヤと水団で作り上げられたと言えそうです。子育て時も今も、わが家も手狭な借家の連続でした。

 『魚だけではなく、肉も食べて!』と、食事指導をしてくれる長女の勧めで、動物性タンパク質不足を補っています。ほどほどに、種類多くの食材を、よく噛んで、にこやかに食べるのがいい様です。四人兄弟で、食べられないための〈食べる原理〉で、早食いの私は、やっと今頃になって、ゆっくり食べられる様になったのです。

 天国の食事風景は、みんなが長いspoon folk で食べるのだそうです。相手に食べさせ、相手に食べさせてもらうためでしょう。「神の国は飲食にあらず」ですから、本当はどうなのでしょうか。つまり、《相手優先の世界》だということでしょう。和やかでいいでしょうね。居心地の快いのは、やはり「天国」に違いありません。

 ( “ヤオコー” に掲載の「ラム」の写真です)

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