草を食む

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 「わたしは良い牧場で彼らを養い、イスラエルの高い山々が彼らのおりとなる。彼らはその良いおりに伏し、イスラエルの山々の肥えた牧場で草をはむ。 (エゼキエル14節)」

 高二で、卒業後の進路を考え始めていた時、〈三択〉の選択肢がありました。一つは、兄たちが選んだ様に「大学進学」でした。運動部推薦で行くか、一般入試で行くかの可能性もありました。二つは、「自衛隊」に入隊を考えたのです。防衛大学も含めてでした。もう一つは、「移民」でした。日本の社会から、飛び出したかったのです。アルゼンチン協会が都内にあって、そこから案内を取り寄せて、スペイン語の勉強も始めていました。

 南半球への憧れ、『南十字星を見上げて観たい!』との思いが強烈にあったのです。首都のブエノスアイレスから、パンパ草原を西に行きますと、「Mendozaメンドサ」と言うアンデス山麓の中にある街がありました。私の生まれ故郷に似た、葡萄の名産地でした。向こう側はチリなのです。その訪問の折、行きたかったのですが、別行動はできませんでした。

 その願いを増幅させたのが、1962年(昭和37年)に歌われていた「遠くへいきたい」でした。永六輔の作詞、中村八大の作曲でした。単純な私は、その歌詞に誘われて、赤道の南側の国の街に憧れたのです。

知らない街を 歩いてみたい
どこか遠くへ 行きたい

知らない海を ながめてみたい
どこか遠くへ 行きたい

遠い街 遠い海
夢はるか 一人旅

愛する人と 巡り逢いたい
どこか遠くへ 行きたい

愛し合い 信じ合い
いつの日か幸せを

愛する人と 巡り逢いたい
どこか遠くへ 行きた

 移民は夢幻の如くに儚く消えて行きましたが、子どもたちが、育ち上がる頃に、ブエノスアイレス訪問の旅に出掛けたのです。街中で花屋やクリーニングを営む沖縄出身の方の家に、食事に招かれました。また広大なパンパと呼ばれる草原で、ガウチョという牧童が世話をする牛の牧場を眺めたのです。「アサード(asado)」と言われる焼肉料理をいただきました。野性味のある調理法で、牧童たちが好んで食べたのだそうです。

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 そこはイタリヤ系移民が多い国で、アルゼンチン・タンゴで有名な港町は、その移民たちがたどり着いた波止場でした。もの寂しい雰囲気がし、原色で塗られた家々の壁が印象的でした。18で移民していたら、花屋かクリーニング屋にでもなっていたでしょうか。そんなことを思いながらの一週間ほどの訪問でした。メンドサには行けませんでしたが、パンパ平原をバスで何時間も何時間も走った街を訪問しました。

 「聖書」の舞台である、中近東のイスラエルでの牧羊業は、アルゼンチンの牧牛とは違っています。ガウチョが追い立てる牛とは違って、羊は、一人の牧者が先導しています。その牧者への従順が羊の群れを安全に保つのです。栄養価の高い牧草ときれいな飲水に導かれる羊は、安定して生育するのだそうです。

 「わたしは、彼らを牧するひとりの牧者、わたしのしもべダビデを起こす。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。 23節)」

 羊を養うと言う使命を持たれる、神の御子イエスこそが、私たちの牧者、羊飼いだと聖書は言います。父が稼いできたお金で、母が衣食住の必要を満たして、私たち兄弟四人は養われ、家内と私も、同じ様に四人の子を育てました。そして健康を守り、行く道を導いてくださったのは、このイエスさまだったのが分かるのです。羊飼いの手に、杖と鞭があるのだそうです。杖は危険からの救出を、鞭は規律と群れを裁くのに用いるのだそうです。

 平穏な老境に至って、衣食住が備えられ、子や孫や友、兄弟がいて、互いを思い合い、問い掛け合いながら、今に満足して生きておられるのです。まさに満ち足りて草を食(は)む心境です。