一円玉

 

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 まだ子育て中でしたが、「一円玉の旅がらす」という歌が流行ったことがありました。NHKの「みんなのうた」で、作詞が荒木とよひさ、作曲が弦哲也による歌で、1990年2月に発表されました。

一円玉の旅がらす
ひとりぼっちで どこへゆく
一円玉の旅がらす
あすは湯の町 港町
一円だって一円だって
(こい)もしたけりゃ夢もある
ああ 出世街道(しゅっせかいどう)どこへゆく

一円玉の旅がらす
好きなあの娘(こ)を ふりきって
一円玉の旅がらす
風に浮雲(うきぐも) 子守唄
一円だって一円だって
(うま)れ故郷にゃ母がいる
ああ 出世街道どこへゆく

一円だって一円だって
恋もしたけりゃ夢もある
ああ 出世街道どこへゆく

 結構楽しい歌でした。「一円」は、足りなくても、『いいですよ!』と言われることが多いのですが、切手を買ったり、税金を納める時には、無くては困るものです。消費税がつき始めてからは、よく使う様になりました。でも、ほとんどの場合、ありがたがられないアルミ貨で、机の抽出しや瓶の中に、使われないで置かれているのが現状です。

 お金にまつわる思い出があります。ある時、ネットで古本を買いました。その本が届いて、ページを繰っていましたら、「五百円札」の新札が挟まっていたのです。もう硬貨に変わって、普段はお目にかかる事のないお札なのですが、黙ってポッケに入れてしまうのが嫌で、古本屋さんにメールで、『どうしましょうか?』と聞いたら、『ええ、もうお使いになってよいのではないでしょうか!』と返事がありました。

 この「五百円札」の運命を逞しく相応してみたのです。出版されたのは昔でしたので、新書で買った頃には、結構価値があったのでしょう、ご主人が買われて、お釣りにもらったお札を、そっと本に挟んだに違いありません。「中華そば」だったら、ゆうに2杯は食べられた時代でした。『これで家内と一緒に中華そばでも食べようか!』と挟んだまま忘れてしまったのでしょうか。

 そのご主人が亡くなって、奥さんが蔵書整理をして、古本屋さんに買い取ってもらったのが、私が買い求めた一冊なのでしょう。使われなかったお札が、古書と共に旅をして、私の手元にやって来たのです。それを事務所に置いたままで、華南の地に戻ってしまいました。ところが留守中に、本は処分されてしまい、また、どこかの古書店に買い取られ、あれからまた旅が続いているかも知れません。ちょっと気掛かりの「五百円札」であります。

 最近は、クレジットカードとか、スーパーマケットの自社製のカードでの買い物がほとんで、どこの〈百均〉でも、現金でしか買えないと戸惑ってしまうのです。昨日は、一円玉がないばかりに、九倍の一円アルミ貨が釣り銭で渡され、金貨入れが増えてしまいました。そう言えば、五十銭札、一円札、五円札を使ったことがあったのを思い出します。カード社会のアメリカの1cent も同じ扱いなのでしょうか。

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