「風土記」が残されています。これは、713年(和銅/げんめい六年、元明天皇の時代)、国ごとに編さんされた地誌(郷土のレポート)で、地名の起源・由来、産物、土地 、肥沃度、古老の伝承などを国庁でまとめ、平城京(宮) の太政官に報告した資料だったそうです。当時日本には、六十ほどの国があり、その「風土記」は、五つの国の写本が残されていて、完全な形で残っているのは、「出雲国風土記」だけだそうです。
中国の統治制度虹真似て国を支配するために、土地土地の特徴を知る必要があった様です。「租庸調(そようちょう)」といった税の徴収が目的だったのでしょう。 その他には、「常陸(茨城県)・播磨(兵庫県)、豊後(大分県)、肥前(長崎県と佐賀県)の一部が残されてあるそうです。
『出雲国風土記』(いずものくにふどき)の記述の中に、その地の山野にある木について次に様なものがあったそうです。母の生まれ故郷ですから、千数百年前は、どんな風だったか興味があります。
卑解(ところ)、百部根(ほとづら)、女委(えみくさ)、夜干(からすおうぎ)、商陸(いおすき)、独活(うど)、葛根(くずのね)、薇(わらび)、藤(ふじ)、李(すもも)など。
また、「鳥獣」は、次の様なものがいたそうです。
晨風(はやぶさ)、鳩(はと)、山鶏(やまどり)、鵠(くぐい)、鶫(つぐみ)、猪(い)、鹿(しか)、狼(おおかみ)、兎(うさぎ)、狐(きつね)、獼猴(さる)、飛鼯(むささび)など。
何だか分からない記述ですが、生物や動物に詳しい方がいて、それに名を付けたのでしょう。地方地方によって呼び方が違っていたのを、全国区でまとめられたのではないでしょうか。よく小生には北限とか南限とか言いますから、全国的な調査は意味があったかも知れません。現在、その全部が残されていたら、日本全土の植生などが分か理、現代との比較ができたことでしょうから、残されていないのは残念です。
昨日果物屋で、地元の農家の出品の「すもも」を買ってきて食べました。甘くなくて酸っぱくて、甘いものばかりの果物の中で、出雲国で採れて、食べられていた様な、原初的な味覚を楽しみました。きっと、ここ下野国でも元明以前から食べられてきたことでしょう。
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