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作詞が巌谷小波、作曲者不詳で、小学校二年生が、音楽の時間に歌った、文部省唱歌の「ふじの山」です。
あたまを雲の上に出し
四方の山を見おろして
かみなりさまを下に聞く
富士は日本一の山
青空高くそびえたち
からだに雪の着物着て
かすみのすそを遠くひく
富士は日本一の山
北関東の栃木市の四階の南側のベランダから、富士山が、建物が少々邪魔をしていますが遠望できます。火山国の日本には、噴火によって、この富士山の形に似た山が、あちらこちらにあります。蝦夷富士(羊蹄山)、出羽富士(鳥海山)、若狭富士(多田ケ岳)、伯耆富士(大山)、薩摩富士(開門岳)などがあり、わが栃木では、男体山を「下野富士」と言うそうです。次女の住む、アメリカの西海岸にも、富士山に似た形状の山があったりします。
夏場の黒富士も、冬場に雪を戴いた白富士も美しい山です。私の弟は、夏場のアルバイトで、富士山の「剛力(ごうりき)」をしていたことがります。冬場に備えての食料や機材を、背負子(しょいこ)で担いで歩いて、山小屋に運び上げたのです。大変な重労働ですが、体力のあふれた若い頃の自慢の仕事だったのでしょう。
その弟の住む家から、下野富士が見えるのだそうです。本物の富士を、ここから私たちが見、彼が擬似富士を眺めていると言う、両者の立ち位置が面白くてなりません。ある人たちは、この山の上に登って、四方に向かってでしょうか、何か宗教的な事をしていると聞いています。信仰の対象でも、宗教行事の場でもなく、私には、ただ「美麗(美しい)」だけの山が、「富士」なのです。
先日の雨の日に、雷が轟く音が、遠くに聞こえました。なぜか私は、この雷が好きでならないのです。見聞きする雷光も雷鳴も雷雨も、私の内にある不要なものが、追い出されていく様に感じて嬉しくなるのです。まだ十九歳ほどだった頃、住んでいた父の家の庭に、石鹸と手拭いを持って飛び出して、雷雨で体を洗いたくなって、そんな衝動的なことを実行したのです。若気の愚行でしたが、あんなにサッパリした沐浴は、それ以降したことがありません。今でも懐かしくて仕方がありません。
懐かしさだけではなく、してみたい衝動に、今でも駆られるのです。男だからでしょうか、幼なさや未熟さでしょうか、衝動的なのでしょうか、自分に呆れてしまいます。今夏は、どこか人の目に付かない死角を見つけて、雷雨を浴びてみようかなと思っています。家内には、『風邪をひいてこじらせて伏せて、死ぬといけないからやめて!』と言われそうで、やはりやめにします。
戦前、台湾統治時代には、「日本一の山」が、標高3952mの「新高山」でした。正式名称は「玉山」と言ったそうです。あの真珠湾攻撃の時の暗号指令は、『フジサンノボレ!』ではなく、この新高山だったのですから、よその国を自分の国の様に支配し、私たちの国の歴史をみますと、ずいぶんと厚顔国家だったことが分かります。
それにしても晴れた日の朝な夕なに、遠くに望む富士の山は綺麗です。それに負けす劣らず、室内に置いた鉢の隅に咲き出した黄色く小さな花が、富士に負けずに美しいのです。自然界は驚くべき《創造の美》なのだと納得してしまいます。でも人間が一番美しいのでしょう。創造者の手で、創造者に似せてお造りになられたからです。醜くなってしまった人が、当初の美しさに帰っていけたら、「再創造」になることでしょう。
(「オレゴン富士」都法人に呼ばれる “ Mount Hood “ です)
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