天然自然

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 北宋の時代に、蘇軾が「春夜」を詠みました。

春宵一刻直千金
花有清香月有陰
歌管楼台声細細
鞦韆院落夜沈沈

 この詩を、中学の時に教えていただき、次の様に読んだのです。

春宵(しゅんしょう)一刻(いっこく)直(あたい)千金(せんきん)
花に清香(せいこう)有り月に陰有り
歌管(かかん)楼台(ろうだい)声細細(こえさいさい)
鞦韆(しゅうせん)院落(いんらく)夜沈沈(よるちんちん)

 その日本語訳、意味は、次の様です。

 春の夜のすばらしさは、ひとときが千金にもあたいするほど貴重なものだ。
 花には清らかな香がただよい、月はおぼろにかすんでいる。
 高殿から聞こえていた歌声や管弦の音は、先ほどまでのにぎわいも終わり、今はかぼそく流れるばかり。
 人気のない中庭にひっそりとブランコがぶら下がり、夜は静かにふけていく。

 この蘇軾の詩に、強い印象を受けた武島羽衣が作詞し、滝廉太郎が作曲した「春」の中に、蘇軾の「春夜」の一節が引用されています。

1 春のうららの 隅田川
のぼりくだりの 船人が
櫂(かい)のしづくも 花と散る
ながめを何に たとうべき

2 見ずやあけぼの  露浴びて
われにもの言う 桜木を
見ずや夕ぐれ 手をのべて
われさしまねく 青柳を

3 錦おりなす 長堤(ちょうてい)に
くるればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の
ながめを何に たとうべき
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 隅田川は、江戸を象徴する流れで、今頃は、長い堤に、染井吉野の桜が綺麗でしょうね。わが家の眼下の巴波川の岸にも、今や染井吉野が爛漫と咲き誇っています。蒼い空、流れに影を宿さないほど浅瀬の流れがあって、花の薄い桃色と、よい季節になりました。
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 蘇軾の漢詩が好きですし、武島羽衣の詩もいいですね。武島は、「美しき天然」の作詞もしています。

1 空にさえずる 鳥の声
峯より落つる 滝の音
大波小波 鞺鞳(とうとう)と
響き絶えせぬ 海の音
聞けや人々 面白き
此(こ)の天然の 音楽を
調べ自在に 弾き給(たも)う
神の御手(おんて)の 尊しや

2 春は桜の あや衣(ごろも)
秋は紅葉の 唐錦(からにしき)
夏は涼しき 月の絹
冬は真白き 雪の布
見よや人々 美しき
この天然の 織物を
手際(てぎわ)見事(みごと)に 織りたもう
神のたくみの 尊しや

3 うす墨ひける 四方(よも)の山
くれない匂う 横がすみ
海辺はるかに うち続く
青松白砂(せいしょうはくさ)の 美しさ
見よや人々 たぐいなき
この天然の うつしえを
筆も及ばず かきたもう
神の力の 尊しや

4 朝(あした)に起る 雲の殿
夕べにかかる 虹の橋
晴れたる空を 見渡せば
青天井に 似たるかな
仰げ人々 珍らしき
此の天然の 建築を
かく広大に たてたもう
神の御業(みわざ)の 尊し
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 春に咲き誇る染井吉野は、誰にも注目されるのですが、孤高の山桜が好きです。誰も踏み込むことのない、誰も手を入れることのない、天然自然の植生の中で、天に向かって咲いている姿がいいのです。その姿を遠望するのが、さらにいいのです。

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