朝露

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 宮城県に女川町があります。小学校の授業で、入江が深くなった「リアスアス式海岸」を、ノルウエーの「フィヨルド」と一緒に学んだのです。地図や写真ではなく、『一度でいいから、この目で見たいな!』と思った日がありました。そのリアスアス式海岸線の南に位置する、漁業の盛んな町が、その女川です。東日本大震災では大きな被害を被った街でした。もう10年になるのですね。

 その復興のために、街を上げて事業を展開してる最中なのです。その計画が展示されているそうです。この女川町が、何を大切にして復興に取り組んできたかが、とても特徴的なのです。その1つは、若い世代に委ね様ということです。

 その展示のメッセージには、復興の取り組みが始まった頃を振り返って、『還暦以上が口を出さず、盾となり、次の世代に町の将来を託した!』といった標語を掲げていたのです。大人は顧問役で、背後から支えていき、若い世代を中心にして復興の事業を展開させ様としています。還暦以上は口出しをしないのだそうです。

 とくに、次代を担う、《小中学生》に任せるのだそうです。これは画期的なことではないでしょうか。『俺がいなければこの街に復興はできない!』と思いがちの年寄りが引っ込んでいるのは、実に素晴らしいことです。

 入れ歯で、話し言葉もくぐもっていたり、会議には、通院の合間に出席し、薬を飲みながら、咳をしながらでは、良い立案も実行もできません。それは人口減の地方の町や村だけではなく、国政においては、尚更のことではないでしょうか。もう〈我々世代〉では、体力的にも精神的にも無理です。
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 過去を懐かしむようになったら、将来は見えなくなっているのです。将来は、若い者たちのものです。
 
 「あなたの民は、あなたの戦いの日に、聖なる飾り物を着けて、夜明け前から喜んで仕える。あなたの若者は、あなたにとっては、朝露のようだ。(詩篇110篇3節)」

 「朝露のような若者」こそが、国を、街を、組織を復興させることができます。明治維新をもたらしたのは、過去に繋がるだけの世代ではなく、将来に羽ばたこうとした若い世代でした。斬新な考えを持つ彼らを、過去の経験を豊かに持っている世代は、応援し、助言し、責任をとってあげられるだけで良いのです。

 女川町は、若い世代の流出を、そういった委任によって防ごうとしているのでしょうか。中央での出世ではなく、故郷の将来を担おうとしている若者への激励でしょうか。大人世代の決心が伺えて素晴らしいと感じています。義を愛し、謙遜な若者の輩出を願う、若者たちが羽ばたこうとしている、卒業式の時期の弥生三月です。

(現在と震災直後の女川町です)

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