ランドセル

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 いつも老夫婦の私たちを気遣ってくださる若いお母さんの《ヒトツブダネ》のお嬢さんが、今春、小学校に入学します。優しい穏やかなお父さんは、目に入れても痛くないほどの可愛がり様なのです。もう、入学する学校に手続きも終え、新入生のお決まりの “ ランドセル"も買ってあるそうです。

 わが家では、長男も、長女も、そして次男も新調のピカピカのランドセルでしたが、次女だけは、違っていたのです。彼女が小学校に入学するときに、ほんとうは、新しいのを買って上げたかったのです。ところが従姉妹が6年間使った物が、『まだ使える!』と、私が聞いてしまいました。

 それで私は、次女を納得させて、その〈お古〉を貰い受けて、それを背負って入学し、通学することにしてしまったのです。新入生のことを、『ピカピカの一年生!』と言っていた時代でしたから、誰もが、着る服も、クツもソックスも、全てが真新しかったのです。ところが次女には、入学式に着る服も、もう一人の従姉妹の着たものの〈お下がり〉でした。

 小学校の新入生を象徴するのは、新調の「ランドセル」なのです。ところが次女だけ、中古だったので、『ちょっと、可哀想かな!』と思いましたが、文句一つ言わないで、それを背負って、家内と入学式に行くのを見送りました。

 1939年に、三苫(みとま)やすしの作詩、河村光陽の作曲で「なかよし小道」の中に「ランドセル」が出てきます。

1.なかよし小道は どこの道
いつも学校へ みよちゃんと
ランドセルしょって 元気良く
お歌をうたって 通う道



2.なかよし小道は うれしいな
いつもとなりの みよちゃんが
にこにこあそびに かけてくる
なんなんなの花 におう道



3.なかよし小道の 小川には
とんとん板橋 かけてある
なかよく並んで 腰かけて
お話するのよ 楽しいな



4.なかよし小道の 日暮れには
母さまお家で お呼びです
さよならさよなら またあした
お手手をふりふり さようなら

 この「ランドセル」はオランダ語なんだそうで、兵士が背負う背嚢(はいのう)をそう呼んで、私たちの国では、明治期に使い始めたのです。大正天皇が小学校に入学の折に、伊藤博文が贈り物としたのが、後に小学校入学者が背負う様になっている様です。

 みんなと同じなのが好きでない私は、奇抜なことがしたい性分でした。〈十把で一絡げ〉を嫌いました。それを、次女に自分の主義を強いてしまったわけです。初めての保護者会があって、家内の代わりに出掛けたのです。5年生の長男、3年生の長女についで、次女のクラスに行きました。

 どのランドセルも一様にピカピカに輝いていたのです。そんな中で、輝き一つない、くすんで傷のついた次女のランドセルだけが、『デーン!』と古い校舎や床板に、シックリと馴染んで、教室の後ろの棚に置かれてありました。少し行動のゆっくりな同級生の世話をやく次女でした。自分のしなければならないことを後回しにしてしまって、先生に叱られるのですが、ヘッチャラなのです。

 彼女は、それ以降、自分流に生きてきている様です。もう四十代、二人の高校生の息子と中学生の母親をしています。高校も、ハワイの友人のお世話で、あちらの高校で学んだのです。ホストの家が何度も変わったのですが、それぞれに適応してしまえたのです。

 ハワイでのことを、親には語りがらないのですが、たぶんつらい経験もあったのかも知れません。二つ違いの姉が、アルバイトをしては助けていたのを後になって知りました。十五歳で、人のしない経験をしたことを感謝して、多くのアジア圏からの留学生を家に迎え入れてお世話を、喜んでしてきています。三月、入学前の今、またランドセルの出来事を思い出してしまいました。

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