丁寧なことば

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 「しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。 私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。(ヤコブ3章8〜9節)」

 日本の「憲法21条」に、次の様にあります。
1、集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。(2項は省略)

 また、「世界人権宣言19条」には次の様にあります。
「干渉されることなく意見を持つ権利。公の秩序・道徳の保護と表現の自由。」

 現在の私たちには、「言論の自由」や「表現の自由」が保障されています。イギリスのロンドンのハイドパークには、次の様な「スピーカーズ・コーナー」があるそうです。

『権力に対する言論の自由は、権力を監視する意味合いがあり、もし制約があれば民主主義とは言えない。しかし、個人に対する言論の自由は、濫用すると、名誉毀損罪・侮辱罪に抵触する恐れがあり、充分に注意して行使しなければならない。「スピーカーズ・コーナー」は、この制約さえもなく、イギリス政府の転覆を論じたり王室を批判することは許されていないが、主張・発言の自由が完全に保障された珍しい場所であり、また同時に「ヤジの自由」も保障されている)。(ウイキペディア)』

 だからと言って、何を話してもいいとは言えません。「ことばの暴力」が人を傷つけている事例が世界では大きな問題にされています。「軽率なことば」、「毒を含んだことば」、「悪意に満ちたことば」が横行しています。ある作家は、「雑な言葉」と言って、ご自分が被った言葉の例を上げておられました。

 最近も、新聞やテレビやネットを騒がせた発言が問題にされて、役職を辞任してしまうことになりました。「ことば」は、人を激励し、生かすことができますが、人を傷つけ死に至らせることも、犯罪を生んでしまうこともあります。

 エルサレムにあった教会の牧師であったヤコブは、舌は「じっとしてない悪」、「死に満ちた毒」、「不義の世界」だと言って、舌を制する勧めをしています。あの元会長さん だけの問題ではありません。私の問題であり、すべての人の問題でもあります。

 「聖書」に、次の様にあります。

 「私は言った。私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。私の口に口輪をはめておこう。悪者が私の前にいる間は。(詩篇39篇1節)」

 「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。(箴言12章18節)」

 「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。(コロサイ4章6節)」

 思い返しますと、多くの人を、「ことば」で傷つけてきた様です。不用意なことば、罵倒したことば、皮肉、侮辱、悪態、刺す様なことば、揶揄を語ってきたのを思い出します。自分のことばを自制できたら、きっと、私は世界を制覇することができたのでしょうけど、相手を煩わせて、傷つけてきたしまったことが多いのです。本当に申し訳なく思う今です。

 だからでしょうか、聖霊は、人の舌に触れてくださる「助け主」でいらっしゃるのです。さらに、「思い」の中に浮かんでくる悪意にも気をつけなければなりません。喋っても、喋らなくとも、同じだからです。そう、『雉も鳴かずば撃たれまい!』ですから、舌に轡(くつわ)をかけて、「丁寧なことば」や「いのちの言葉」を語っていきたいと思っています。

(スピーカーズ・コーナーの様子です)

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