朝一輪二輪

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自然界は落胆しないのですね。どんなに雨続きでも、へこたれません。いつもと同じ朝を迎え、同じ鉢の枝に、美しい花を咲かせている朝顔とサルビアです。昨日は兄から取り寄せの白桃が、先週は義妹から贈られてきました。こんな雨でも、甘くて美味しかったのです。湿りがちの夏を、桃三昧を舌で楽しんでおります。

今、外で、ミンミンゼミの鳴く声がしました。今夏第一声です!

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Nein!

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 第二次大戦下、ドイツに、“ ボンヘッファー ” という学者がいました。両親は大学で教えていた教授で、恵まれた環境で、この人は育っています。ナチスが政権を握った後に、心で闘いつつ〈反ナチ運動〉に身を投じた人でした。ヘーゲルやマックスヴェーバーやバルトの影響を受けていたそうです。ほぼ私の父と同世代人になります。

 第一次世界大戦の戦争責任を負ったドイツは、ワイマール帝国が崩壊し、莫大な賠償金と領土の分割と言った、国家的な危機的状況にありました。しかも物価の高騰、失業などが社会問題となっていた時期だったのです。そんな状況下で、ドイツ国民の支持を得て、台頭したのが、ヒトラー率いる〈国家社会主義ドイツ労働党/いわゆる“ ナチス ” 〉でした。彼らが掲げたのは、〈反ユダヤ主義〉でした。

 人心収攬(しゅうらん)の術に長けたヒトラーは、巧みな話術で、危機回避のアピールをし続けて行きます。その結果、国を誤った道に導き、何と600万人ものユダヤ人の犠牲者を生んだのです。残念なことに、当時の日本は、日独伊の三国同盟に加盟してしまいました。

 そのナチスの反ユダヤ政策に、“ Nein(英語のNoです)!“ と言って立ち上がったのが、ボンヘッファーでした。私は、若い日に、本で読んで、39歳で、亡くなって逝ったこの人に、重大な課題を投げつけられたように感じたのです。自らの信仰、教えられてきた学びと、その国家的、世界的な暗闇の中で、〈ヒトラー暗殺計画〉に加担せざるを得なかった想いを、私は突きつけられて、迷ったのです。

 『汝殺すなかれ!』との教えと、彼が選び取らざるを得なかった〈殺人計画〉との大きく深い〈食い違い〉を、どう埋めていくかの課題でした。日本でも、『日本人たれ!』で〈天皇崇拝〉を強要され、造物主の在すことことの狭間で、懊悩した青年たちが大勢いたのを、私は、歴史学習を通して知ります。今もなお、絶対的な権力で、自由を奪い取っている国家があり、多くの若者が、それに、どう向き合うかの課題を突きつけられているのです。
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 結局、その暗殺計画が露見し、それに関わった人たちは逮捕されてしまいます。その中にボンヘッファーも、彼の義兄弟もいました。彼は、1945年4月9日、フロッセンビュルクの強制収容所で処刑されてしまいます。私の次男の今の年齢ででした。不条理が罷り通るこの世で、正義や真理や公平や愛は、どこにあるのでしょうか。そうでない忌まわしい現実に、どう向き合えばいいのでしょうか。

 彼の死の3週間後、ヒトラーは自殺して果てます。ボンヘッファーが殺人の実行者となって、『その汚名を負うことから免れるために、その刑死があったのだ!』と、若かった私は結論したのです。ドイツ人の堅実さや賢さを知っている私は、全国民が、ナチス支持に回ったという歴史の事実の中で、経済問題や就職問題の食べて生きる必要や民族の誇りなどに固執し過ぎれば、誤った道に人心は導かれてしまうのだと分かったのです。

 悶々と苦しむのは、いつの世も、どこの国でも、若者たちです。ベルリン大学で、弱冠25歳で講座を担当した折、その授業を、《祈り》をもって始めるほどで、聴講の学生たちを驚かせたボンヘッファーでした。その数年後に、ヒトラーが宰相の地位に着き、人道にもとる政策を行い、ドイツの最暗黒の時代が始まります。でも、この第三帝国は、25年で崩壊してしまいます。現代の世界中の若者が、正しく選択し、決定し、責任を負うことができますように。まだ歴史に学ぶ必要のある私であります。

(留学したかったハイデルベルク大学、一度食べたい本物のハンブルグステーキです)

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