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先日、隣家からいただいた「桜桃」は、今まで食べたものに比べて、抜群の甘さでした。ただ甘いだけではなく、酸味も程よくあって、「美味しい」初夏の味覚でした。今日、生協で買ってきた季節外れの果物ですが、「林檎」も旨かったのです。それに昨日買って蒸した「もろこし」が美味でした。
「甘さ」だけでは美味しくないのですが、微妙に美味しいのは、酸味や渋みがあって、甘味を引き出しセーブするのでしょう。〈渋みがかったいい男〉も、美男子であるだけではなく、〈渋み〉や〈苦味〉があって、そう言うのだそうです。
昨夕(7月10日)のニュース速報を聞いて、東京地検の麻雀賭博をした元検事長を、検察庁が起訴猶予の処分にしたと報じていました。これが、〈甘さ〉です。厳正な法的な判断を下すべきなのに、過去に良い仕事をしてきたり、功績があったりした場合、〈甘さ〉がみられるからなのか、そう邪推してしまう私が悪いのか、でしょうか。〈どんな立場の人の賭け麻雀〉だったのか、送検された容疑者を、どうするかを決めたりする立場、そのトップだった〈職責〉や〈社会的責任〉は看過ごされているのに、〈甘さ〉が見られます。
窃盗を働いた中二の私を、警察に通報せず、学校だけに連絡してくれた方を思い出します。学校側も、停学や退学の処分をせずに、不問に付し、母同席で〈叱責〉だけでした。中三の学年末、中学三年間の総括の行動記録に、『よく立ち直りました!』と、三年間の担任は記してくれました。そして系列の高校の入学を許してくれたのです。〈甘い処分〉でした。
高一で、学内で、〈猥褻文書を売った級友〉は、〈退学〉させられて、消えて行きました。学外で盗みを働いた中途入学してきた二人も、無言で退学して行きました。難しい年齢の只中で、自分は、家裁送りになって、鑑別所や少年院に送致されていたりしていたかも知れません。私の処分なしも、罪に定めなかったのがよかったのか、よくなかったのか、今も迷うところです。もちろん立ち直れたのには、厳しく責めなかった両親がいたのです。
あの時、警察沙汰になっていたら、自暴自棄になって、雪だるまが転げ落ちる様に、罪を重ねて少年院送りの道を辿っていたことでしょう。幸い、私は、人生上の大きな転換を迎えることができたのです。それは、個人的な内的な経験でありますが、生き方の大改革を経験し、今日に至っています。それでも、不問に付された過去の罪(罪々と言うのが当たっています)を、〈精算されていない過去〉を時々思い出すのです。
《赦されたこと》は確かなのですが、どうも何か、〈過去の始末〉が、いまだについていない感じがしてなりません。時間の経過が、罪の責任を薄めることにはないからです。自己矛盾が拭えないままでいます。あの検事長は、自己矛盾を感じないのかなって、そんな過去を持つ私は思ってしまうのです。
私の知人で、「ベ平連(ベトナムに平和を市民連合)」や「安保闘争」で活動した人たちがいました。反社会的だとされた活動に関わると、〈ブラック・リスト〉に載せられるのです。そうされた人は、公務員になったり、大手企業に就職する機会を奪われることがあったのだそうです。公安にマークされたり、また逮捕歴があったり、補導歴があったりすると、その〈シミ〉は抜けないのです。そのひっかりがあって、ちょっとした違反でも許されないことがあります。
〈賭け金の少なさ〉だったらいいのでしょうか。あの “ジャンバルジャン” は、飢えた姉の子に、パンを食べさせようとして、一個のパンを盗んだ罪を負い、19年も服役しています。貧しい職人に、フランスの街の官憲は厳しく臨んだわけです。まさに、『ああ無情!』です。それなのに、わが国の官憲、検察は、〈大甘〉な処分を、“ マッ黒 “ な賭博常習者に下しました。この方は、しばらく後で、弁護士になるように聞いています。
裁く資格なんて、まったくない私なので、ごめんなさい。でも、そんな過去を引きずっていますので、敢えて、こんな〈曖昧さ〉や〈甘さ〉で日本法曹界は、『大丈夫?』と思ってしまいます。少年期に、〈甘い〉処分を受けた私は、今、けっこうきつい見方をしているのに、驚いてしまいます。
(映画“レ・ミゼラブル” のスチール写真です)
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