朝顔便り/10月23日

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今日六時半に家を出て、宝積寺駅まで歩いて、JR宇都宮線の電車に乗って、宇都宮駅で降りました。そこから東武宇都宮駅前までバスに乗り、東武宇都宮線の電車に乗って、栃木に行ってきました。真っ青、紺青の秋空でした。

栃木の家の自宅の庭に、朝顔がちょっと縮こまっていましたが、花開いていてくれました。主はいないで、水遣りもないのに、遠慮がちに咲いていたのです。その生命力は素晴らしいものがあるのに感心してしまいました。

帰りは、JR両毛線で小山駅に出て、そこで東北線(宇都宮線)に乗り換えて、石橋駅で途中下車し、タクシー乗り場で、運転手に、獨協医科大学病院までのキロ数と運賃を聞いたのです。もしかしたら、次回の家内の通院日は、電車とタクシーとで行ってみようと考えたからです。

そこから宇都宮に行き、黒磯駅行きに乗って、乗車駅に戻ったのです。けっこう交通の便の良い地域で、住めば都の感を強くしたところです。昼過ぎには、今お世話になっている宿舎に戻れたのです。
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同級生

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子育て中の頃、同じ街で、一時期を共に過ごした、私たちと同じ6人家族の奥方から、写真が送られてきました。彼は、街中の “ YMCA ” で英語を教えながら、私はスーパーマーケットの床清掃事業をし、家族を養いながら、〈私塾〉で一緒に学んだ〈同級生〉です。

三人とも孫を持つ〈ジイジ〉になって、まあ孫自慢の写真でしょうか。それで、私も〈写真庫〉から探し出してメールの添付して送信したところです。彼は、アメリカの名門大学を卒業していて、飛切り頭脳明晰でした。瞬く間に日本語を覚えてしまいました。小さなメモを常に携行して、それに書き込みながら学んでいました。

お父上も、有名な大学の教授でしたから、親の良い遺伝子を受け継いでいたのでしょう。私は40点、彼はほぼ満点の試験成績で、私の刀の大和魂では太刀打ちできない、アメリカン魂の機関銃の優等生でした。ちょうど事務所の建設をしている頃で、京都からやってき来た、もう一組の夫婦も、後から加わって同級生でした。

短気な私、優秀な彼、穏やかな福井県人で、揉まれ揉みながら、しばらくの間、共に過ごしたのです。懐かしい方たちです。この二人は、私から忍耐を学んだのでしょうか、素敵な家庭を築き上げて、孫に目を細めている今です。『病中の百合さんを見舞いに行きたい!』と電話がありましたが、通院の間隔が短くて、お招きする手をこまねいてる間、共に過ごした地の名産の〈白桃〉とお見舞いを送ってくださったのです。

助け合いながら、研ぎ合いながらの年月が懐かしくて仕方がありません。アメリカからの彼はギターが上手で、奥方は、〈スズキ・メソッド〉のバイオリンの名手でした。法螺しか吹けない私と違って、情緒的にも落ち着いたみんなの中で、『浮いていたかな?』の私です。孫たちはみんな、この世の嵐の中で只今、〈工事中〉なのでしょう。どことなくジイジとバアバに、どこか似ていて、面影がある、マゴたちです。

正しい価値観を身につけて、この世に染みてしまわずに、まっすぐに育っていってほしいと願う、台風20号が熱帯低気圧に変わり、大雨を降らせている昼過ぎです。(22日記)