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10月7日午前11時30分の朝顔です。ちょっと変形ですが、高い所で、〈孤高の花〉然とすまし顔です。最盛期に比べて、晩期の様子は、来季にバトンを渡そうと、咲き続けているのでしょうか。
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日: 2019年10月7日
自然に還れ
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昨日の夕方、夕陽を受けて、やけに空が綺麗でした。ここは広々と広がる関東平野の北端に位置していて、夕陽が綺麗なのです。天津の7階のベランダ(中国語では〈阳台yangtai〉)から見える夕陽も、実に見事でした。
1919年(大正8年)に、作詞が中村雨紅、作曲が草川信の「夕焼け小焼け」を思い出してしまいました。
1 夕焼け小焼けで 日が暮れて
山のお寺の 鐘が鳴る
お手手つないで みな帰ろう
烏(からす)といっしょに 帰りましょう
2 子供が帰った あとからは
円(まる)い大きな お月さま
小鳥が夢を 見るころは
空にはきらきら 金の星
大正、昭和、平成の時代に歌い継がれ、令和の今も歌われていくことでしょう。幼い日を過ごした山の村の風情が思い起こされ、秋だからでしょうか、郷愁を覚えてしまいます。小学校が焼失してしまい、山のお寺の一部で、兄が学んでいて、その兄に連れられて行って、兄の机の横に椅子を置いてもらって、座っていた日をうる覚えしているのです。
月も星も綺麗に見える山村に、煙がたなびいていて、真っ赤に熟した柿や、ドドメや、アケビを採っては食べた日がありました。兄の学校の焼け跡に、アメリカから敗戦国の児童の栄養補給で寄贈されていた〈脱脂粉乳〉を、長筒の入れ物の中に手を入れて、頬張って食べたことがあったのです。また兄の教室で、調理したミルクを分けてもらって飲んだのです。
生まれ育った村よりも、もっと奥に村落があったのですが、昔は、そんな所にも、人が住んでいたのを知って驚かされました。でも、もし許されれば、そんな山奥に住んで見たいものです。熊や猪に出くわすかも知れませんし、食料の買出しも大変かな。病気したら、“ ドク・ヘリ ” が飛んで来てくれるでしょうか。電話がないとダメですね。自然に還れ!
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