引越しと親切

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昨夕から住み始めた家は、生まれてから〈24回目の家〉にあたります。こんなに引越しをして来たことに、当の本人が驚いております。人は、小学校時代を過ごした街が、一番懐かしいのだそうです。その街で、ウサギは追いませんでしたが、ザリガニやハヤは釣った覚えがある街に、小二で引っ越して来て、二十歳まで住んだ街が、《ふるさと》でしょうか。

中国に行って、最初に住んだのは、天津の天文台のある道路脇にあった外国人アパートでした。そこは、ホテルの様な作りで、ロビーを通って上階の部屋に行き来したのです。習いたての漢語を、そこで復習する宿題で、会話訓練を積みました。その後、華南に移り住んだ家は、学校のホテルでした。そこに一年ほどいて、師範大学の教員住宅に住み、友人の同僚の持ち家に引っ越しました。木の香のする素敵な家でした。

ところが檻の様な塀に囲まれ、家の窓という窓にも檻の様な柵がついていましたが、自分が囚人ではないので、すぐに慣れました。そして、その後、友人が留学をして、空いてしまう家に住んで欲しいと言われて、そこに住み始めました。そこを中国での最後に、家内の病気で、この9月に、13年に区切りをつけて、家の整理を終えて、帰国しました。

そして、帰国と同時に、家内が、下都賀郡壬生町にある、獨協医科大学病院に入院したのを契機に、友人のご好意で、栃木市の家に住み始めたのです。ところが在栃10ヶ月目に、先週末の台風19号の大雨、増水、氾濫で、お借りしていた友人宅が、床上浸水に見舞われてしまいました。闘病通院中の家内には、『衛生上の問題があるので、ここを引き払ったほうがよろしいのではないでしょうか!』との友人のご子息の助言で、この方の友人の倶楽部の空いた二階に、昨夕引っ越して来たところです。

一応、ふさわしい家が見付かるまで、と言う条件で、ご好意に甘えることができたのです。この避難所の、高根沢町は、宇都宮から宇都宮線、烏山線のと言うJRの分岐駅・宝積寺(ほうしゃくじ)駅が最寄りです。家内は落ち着いております。引越し24回目が、こんな形になったことに、とても驚いている私です。まさに旅人、寄留者の心境です。

次男が家内のお腹の中にいた初夏に、会場の家のガス爆発で、消防隊の放水する水で、家財道具がずぶ濡れになってしまい、引越しせざるを得なくなった、あの時を思い出しています。いろいろな経験をして来ましたが、自然のもたらす猛威を、身をもって体験した今回の罹災と引越しでした。

昨日、こちらに着いてから、忘れ物に気付いて、息子に栃木まで連れ戻ってもらったのです、家で忘れ物を取って、小山駅まで送ってもらいました。その駅の改札付近で、一人の高校生に行き方を聞きましたら、親切に教えてくれたのです。ところが10番線ホームで待っている私を追って来て、『宇都宮駅で8番線に乗り換えてください!』と、わざわざ追加説明をしてくれたのです。いやー、親切な女子高校生に感謝した次第です。もちろん息子にもでした。まずはご報告まで。

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