「離合集散」、“デジタル大辞泉”には、次のようにあります。『[名](スル)人々がより集まって仲間をつくったり、また別々に分かれたりすること。』とです。三月と四月は、時期的に、人が集まり別れたりする、一年で一番変化の見られる季節だと言えます。

それを祝ったり、悲しみ惜しんだりしながら、明治以降150年、私たち日本人は、それを繰り返して生きてきました。いつも、『どうして?』と思ったことなのですが、『三月三十一日と四月朔日とが人の別れと出会いの境界日に定まった意味は?』です。

「大晦日」と「元旦」の方が、区切りがはっきりしていてよいのにと思ってきたのですが、「年度終わり」と「年度に始まり」は、三月四月に、日本は定めたわけです。“ウイキペディア”に、次のようにあります。

『現在の日本における具体的な年度の例としては、4月1日から翌年3月31日までを括る「会計年度」や「学校年度」などが一般にも用いられる。本来は、種類を特定して使用するものであるが、国の会計年度や学校年度が4月から3月までであるため、単に年度というと、4月からのものを意味するのが一般的である。国の法律でも例えば、国と地方の協議の場に関する法律第4条第1項など、この用例は多い。この区切りは明治時代から続く。』

それを《爛漫の桜花》が迎え見送って来たわけです。一年待って、咲いたと思うと、《十日ほどで散っていく花》なのに、こんなに咲くのを恋い焦がれるかのように待たれ、爛漫さを愛でられ、散るを惜しまれる花は、この日本には、桜以外にありません。

さくら さくら
やよいの空は 見わたす限り
かすみか雲か 匂いぞ出ずる
いざやいざや 見にゆかん

さくら さくら
野山も里も 見わたす限り
かすみか雲か 朝日ににおう
さくらさくら 花ざかり

きっと、「桜の花」が咲き、そして散る時期に、「区切り点」を、「桜」にちなんで定めたかったのでしょう。何時か、兄弟四人で、二人の兄と私が学んだ山奥の「母校」を訪ねたことがあります(弟は学齢前でした)。翌年には、廃校になり、その小学校に最後の校長先生に、その時、お会いしました。何と次兄の担任だった方で、次兄をよく覚えていてくれたのです。

その母校の校庭にも、桜の木が、運動場を囲むように植えられていました。開花の時期ではなかったので、花を見ることはできなかったのです。間も無く、生徒のいない、その校庭に、桜が無言で咲くことでしょう。ここ栃木でも、今週が見頃でしょうか。