2011年3月に、中国のみなさんが、「東日本大震災」の被災者に、書き送ってくださった「寄せ書き」がありました。そこには、中国のみなさんは、日本人を含めて、「我们就是家人」と書いてあったのです。それは、『私たちは家族の一員です!』と、親愛に満ちた言葉です。兄のように慕い、弟のように慈しんだ関係が、中日の間に、まだ根強くあるのだとの語り掛けです。
私の父は、若き日に、東シナ海を渡って大陸に赴き、そこで生活をしたと言っています。現在の中国東北部、遼寧省の瀋陽(奉天)です。大陸は、当時の日本に青年たちにとっては、《憧れの地》であったのでしょう。自分の人生を切り開こうと、みなぎる青春の血を燃やそうとしたのです。
悲しい歴史が両国の間にはありましたし、まだ感情的には受け入れにくいことも多くはあるのですが、この13年の中国でに生活の間、『あなたには罪がありません!』と何度言われたことでしょうか。でも父の時代の歴史的事実は、変えることができないのに、寛容さを持って接してくださり、敬愛の情までお示しくださったことは、忘れられません。
あの東日本大震災のあった日、家内と長男の家に滞在していました。胆嚢の摘出手術を控えていた日でした。突然の揺れに驚かされ、隣の生協の店の駐車場に、家内と共に避難したのです。地震がおさまって、家に帰ると、テレビは、仙台近郊の川を、津波が遡上して行く様子を、放映していました。
しばらく経ちますと、福島原子力発電所が、津波によって、大きく崩壊している様子も伝えていたのです。遠くで起こった災害が、劇場で眺めるように、地震の被害が伝えられていて、父から聞いていた「関東大震災(1923年9月1日発生)」の被害の様子を彷彿とさせるようでした。
戦後の主要な災害の一つが起こった後、中国のみなさんがお示しくださった「善意」の一つが、その「寄せ書き」でした。「加油」ともありました。『頑張って!』との意味です。あれから、もう八年が過ぎたことになります。
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