寄留者

 

 

ロビンソン・クルーソーが、孤島に漂着して、そこで自活する様子を描いた「漂流記」を、子どもの頃に、興味津々で読んだことがありました。そう言った生活に憧れて、「秘密基地」を、林の中や地を掘って作ったこともありました。父の家には、押し入れ以外には自分の場所がありませんでしたから、〈自分だけの空間〉を持ちたい願望の疑似体験でした。

『もし、絶海の孤島で生活をしなければならなきなったら、何を持って行くかと?』と言う質問があって、色々な物が挙げられていました。自分だったら、「大辞林」か、今では「ジョルダン(路線案内)」がありますからあまり使わなくなっている「時刻表(交通公社発行)」、世界のベストセラー「Bible」を持って行くのがいいかも知れません。 

孤島での生活を余儀なくされたロビンソンが、無くて困った物と代用品のリストがあります。

〈蝋燭〉山羊の脂を粘土の皿にとり灯芯をつけてランプに、〈石臼〉砂岩質の石しかなく木臼で代用、〈ふるい(篩)〉更紗の襟巻きを使って自作、〈シャベル〉堅い木を削って作った、〈農具〉大きな重い木を引きずって鍬の代わりとした、〈つるはし〉梃鉄を流用、〈鎌〉短剣を鎌のように直して麦刈りに使った、〈下着類〉すぐにそのようなものなしで過ごすことに馴れたその他に〈針〉、〈ピン〉、〈糸〉

大陸で、13年を過ごしてきた生活の本拠地の街から、3つのスーツケースだけを持って帰国し、友人の別宅に居候(いそうろう)させてもらっているところです。家内は、6人の病室の〈二畳〉ほどのスペースで入院生活を続け、私は、この家で、3ヶ月ほど生活をしているのです。

人って、そんなに〈物〉がなくても、ちょっとの不自由さを我慢すれば、《住めば都》になるのでしょう。所詮、人は「旅人」で「寄留者」なのでしょうね。13年前に出かける時、それまでの37年間の結婚生活の所帯道具、所持品のほとんどを処分してしまいました。

帰る場所と物を残しておいたら、帰りたくなったら帰れるという思いを捨てたのです。ただ、少しずつ買ってきた本だけは、残しておきたかったのですが、捨ててしまわれました。却って〈物への執着〉を捨てられてよかったのかも知れません。

家内から、昨日、『私のスーツケースの化粧道具入れにある、小バサミとカミソリとを持ってきて!』と頼まれました。どうも少しオシャレをしたくなってきたようです。病人から《女性》に戻ろうとしているのでしょうね。担当して下さる看護師さんに、実によくしてもらっているのを感謝していました。さらに友人夫妻によくしていただいている、そんな三月です。

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