紫の綺麗な色をつけた「こすみれ(小菫)」と「ビオラ〈すみれのラテン語読みだそうです〉」です。一昨日配信していただいた[HP/里山を歩こう]に、呉市の裏山に咲いていたそうです。植物の世界は、季節の動きに正直に応答して、咲くべき場所と時とを、自ずから弁(わきま)えているのです。
自分は、大輪の花を咲かせようとする野心がなかったのか、才能がなかったのか、はたまた場所と時を得なかったのか、そうできませんでした。でも、これから咲き出そうと思うのです。遅咲きで、小さくていい、誰に見られなくともいい、天に向かって小さく咲くだけでいいのです。ある詩人が、『真っ黒な土やドブの中から、どうしてあんなに綺麗な色の花が咲くのだろうか?』と思って、作詩をしていました。
展覧会で賞賛を受ける花もあれば、無残にも踏みつけられる花もあります。『えっ、ちょっと弱気過ぎないの!』と言われそうですね。諦めたのではないのです。身の程を弁えているからです。ほとんどの人が行き、来た道です。それでも、独特に、個性的に、自分独自の色と香りの花を咲かせてみたいのです。
いえ、これから何かをしようとしているのではありません。咲かせたいのは、人生の仕上がりをし、総決算をしたいと言う「花」なのです。呉の裏山の石垣と岩の間の薄い土の中から咲いている、この花のようにです。
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