ここ栃木では、このところ雨の日が続いています。この「春に降る雨」を、「春雨」と日本人は呼んで、この地で生活し続けてきているのです。また「春時雨」とか、「小糠雨(こぬかあめ)」とか「春霖(しゅんりん)」とか、そう言った別名もあります。
叩きつけるように強くはなく、〈しとしと〉と降る風情が、日本人の心に合っているのでしょうか。まるで〈小糠〉のように降るからです。中国の華南の街では、もう今頃は、雷の季節になっているかも知れません。この西から東に、北から南に、自在に走る稲光と、轟き渡るような雷鳴とを、しばらく聞いていないのに気付いたのです。
この時季、父や母から、一雨一雨暖かくなると聞いてきましたので、そんな期待感が湧き上がってきます。昨日も春雨、小糠雨にズボンの裾を濡らしながら、駅まで歩いて、東武宇都宮線の電車に乗り、家内の入院先の病院に行って帰りました。
日本人の感性と「雨」とは深いつながりがあるに違いありません。何時でしたか、雨の呼び名を調べたことがありました。驚くほどの表現があって、この雨が日本人の心を形作ってきているのが分かったのです。
春雨や 添水みにゆく 傘二つ
日野草城(ひの そうじょう)の作です。「添水(そうず)」と言うのは、「懸け樋(かけひ)」などで水を引いて、竹筒に注ぎ入れ、一杯になると、その重みで反転し水を吐き、軽くなって元に戻るときに、石などを打って音を発するようにした仕掛け。もと農家で猪(いのしし)や鹿を脅すのに用いられた。〈ししおどし〉(大辞林)」です。
忙(せわ)しなさを覚える時、雨は人の心を落ち着かせてくれます。「雷」と「小糠雨」の《強弱》、私たちの一生にも、そう言った違いや変化があるのに気付かされます。
春雨の 中を流るゝ 大河かな
与謝蕪村の作です。しとしとと降る春雨と、大きな流れの川との《多少》を対比して詠まれているのですが、人の一生も、わずかなことの積み重ねによって、けっこう大きかったり多かったりになるようです。私たちの長く住んできた街に、旧市街と新市街の間に、大河が流れ、大きな中洲の中に、私たちに住んできた家があります。
昨日の三月三日は、古来私たちに国で、女の子の成長を願って祝ってきた日でした。病まないで、怪我をしないで成長して欲しいとの親の思いが受け継がれてきているのです。この雨がやんだら、暖かくなるのでしょう!
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