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私たちの子どもの頃は、三角ベースで、しかもゴムボール(軟式テニスボールの様で品質の悪い硬いゴム製でした)を手打ちでする野球に興じていました。しかし、正式の野球は、本塁から、一塁方面から右翼ポールまで、三塁方面から左翼ポールまで、一直線に伸びた石灰で引いた白色のライン内で、試合が行われます。そのラインの内側に、打ったボールが落ちればヒット、外だとファールになるのです。
今日、大谷翔平についての記事を、ネットの中で読みました。四球を選んだ大谷選手が、一塁に向かいますと、そのファールラインの内側に「ゴミ」が落ちていたのだそうです。そのゴミを、彼が見付けて、拾って、ラインの外に放ったのです。そのままでも、試合進行に支障はないのに、見つけた責任上、そうしたのでしょうか。
"キリキリ"した緊張の時に、そんな心の「ゆとり」が感じられる行為を、てらわずにしたのに驚かされてしまいます。『放っておけ!』で好いのに、放っておけなかったのでしょう。大観衆の目が、その一挙手一投足に注目を浴びる"スター選手"なのに、その観衆の視線を気にしない振る舞いを、自然にできるのには驚かされるわけです。
自慢話にならない様に願っていますが、7年間、こちらの学校で、「日本語」を教えたのですが、私も心掛けた事がありました。中国の学校の教室は、綺麗ではないのです。各教室の棟に、家族や夫婦で住んでいるのか、出勤してくるのか、管理人がいるのですが、手が行き届かないでいるのです。
前日の最終講義の後、机で食べた食事だか、おやつの残飯やゴミや空ボトルが、引き出しや床に、そのままなのです。どうも自分で始末ができない学生が多いのです。また、掃除人がいるんだから、捨てなくても好いのだ、とも考えている様です。私のクラスは、ほとんどが第一時限目で、そんな教室に、30分前に入ると、そのままにできなくて、ゴミ掃除をしてしまったのです。
机も拭いたでしょうか。気持ち好く教えたいし、みんなが気持ち好く学べる様に願ったからです。授業が終わると、板書した黒板を拭き、ゴミが落ちていたら拾い、机の中に忘れ物がないかを点検して、ドアーを締めて終えたのです。そんな年月を、中国の最高学府で過ごすことができたのです。それって、私には苦にならないのです。父親が几帳面でしたから、その感化かも知れませんし、仕事をしながら、大きなスーパーマーケットの清掃を請け負って、長くサイドビジネスをしていましたから、掃除は、お手のものでした。
23歳の卓越した、一人の人としての大谷選手の仕草に、驚かされます。肝っ玉が据わっているのでしょうか、大谷選手には、とても好感を持ってしまいました。これからの野球人生には、スランプ、低迷、迷いの時がある事が予測されます。しのぎを削るプロの競争の世界で、彼の魂が、さらに強靭にされ、技量が磨かれ、ごく自然体で、自分に「定められた時」を、精進しながら活躍して欲しいと願う開幕当初の4月です。
(大谷選手も高校時代に戦った「甲子園球場」です)
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