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子どもたちの写真の中に、次男が、まだ5歳くらいに時のものがあって、ビジネスブックノートに挟んであります。事務所の階段の踊り場の床板の上で、あぐらを組んで、腕も組んでいるのです。<ボク>が<オレ>に変わっていく時期で、男の子の<背伸び>する思いが、その<腕組み>に現れていたのかも知れません。
高校生の時の事です。来客があった時に、お客さんの前で、その<腕組み>をしていた私を、母が見ていました。それを見過ごさなかった母が、則座に、『お客様の前で、腕組みなどしてはいけません!』と、叱ってくれたのです。まだ素直だった私は、恥じながら<腕組み>を解いた事がありました。それを《肝(きも)》に銘じたのでした。
だいたい、どこの国も、青年たちの集合写真を見ますと、結構、<腕組み>をしている人が、何人かいる様です。アメリカにいる外孫の友人たちの集合写真の中にも、一人いました。とくに、軍国主義や国家主義を縹渺(ひょうびょう)する国の青年たち、例えば、かつての日本やドイツやイタリヤの青年たちが、多く<腕組み>をしていたのです。こちらに来て、中国の青年のみなさんが、<腕組み>をしているのを見た記憶がないのです。
「腕組み」ということを書かれた、彫刻家で、東京芸大の名誉教授をされた舟越保武さんが、面白い事を言っておられます。『「心臓を守るかたち」、ひいては「心の動揺を相手に見せまいとする本能の働き」である。言い換えれば「防御の姿勢」や「反抗の姿勢」、「ときには自分の邪心を隠す形」でもある!』と言っています。人の姿を、石に刻む事を生業(なりわい)とする方ならではの観察眼です。
これまで多くのアメリカ人と出会ったり、一緒に働いたり、教えて頂いて来て、この方たちで、この<腕組み>をしていた方は、一人もいないです。私を<威嚇(いかく)>したり、<蔑視(べっし)>したりする人ではなかったからでしょう。私は、何かを考える時に、この<腕組み>を、自然にしているのです。若い頃によくしていた様です。それを見た家内に、『それ、やめて!』と言われたのを思い出します。
国会中継や、国会内の委員会の光景を映した映像を見た時、野党の厳しい質問攻めに、タジタジとした大臣が、自分の席で、頭を下げて瞑目して、<腕組み>をしてたりしています。あれって<防御の姿勢>で、『負けんぞっ!』、『やり込められんぞ!』と無言で、跳ね返す思いを表しているのでしょうね。
私の「写真倉」の中に、幕末に、来日した写真家が撮った、当時の日本人の写真がありますが、幾葉かは、侍の<腕組み>の物があります。やはり、欧米からに圧力が加えられていた時代の<不安>の表れだったのでしょう。若い私が、そうでした。大人としての確信にかけて、<不安>を感じた時に、よく<腕組み>をしていたのです。
私は、こちらのみなさんの前では、<日本軍人>を彷彿(ほうふつ)とさせてしまう様な<腕組み>を、『決してすまい!』と決心して生活してきています。でも、若い頃の習慣、いえ<不安>が出てきてしまわないか、もしかすると、ふとした事でやっていそうで気にしているのです。ここでの生活の一つの意味は、《和解の務め》だと思っているからです。そういえば、私の父もしていなかったなあ!
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