BigBen

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義兄は、18歳で、横浜から船に乗って、ブラジルのサントス港に上陸し、ブラジルの大地を開拓する農業移民として出掛けました。一度も帰る事なく、ブラジルの地に没したのです。日本での契約時に交わした約束とは違った、現地の受け入れで、大変な苦労をしたそうです。同時期に一緒に移民した仲間が、寂しさに耐え切れずに自死し、その遺体を、泣きながら掘った墓に葬ったと聞きました。悲しい「移民物語」の一コマです。

結局、その農場を、義兄は秘かに脱出してしまいます。何も目当てがなかったのですが、時計の修理技術を教えてくれる人がいて、本人も手先が器用だったので、その技術を身に付けたのです。結婚し、店を経営し、広大な土地を買い、家を建てる事ができたのです。その自分の店に、"Big Ben"と名付けました。自分の修理した時計が、ロンドンのウエストミンスター宮殿の時計と同じ様に、時を刻み続けるのを願ったからでしょうか。

本場の"Big Ben"は、ロンドン中に、その時刻を知らせる時計が鳴り響いたのだそうです。私は、その時計の音が、"キーンコーンカーンコーン"の繰り返しシハイスミレであるのを知らなかったのです。これって、日本の学校の中で聞いた、授業の開始と終了を告げる、あのチャイムと同じだそうです。午前中の授業の終わりを告げるチャイムを聞いた途端、唾液腺の活動を激しくされた音です。

用務員のおじさんが、手で振って、"カラーン、カラーン”と鳴らした鐘に代わって登場したものでした。もう随分聴いてない懐かしい音です。"ウーウーウー"の空襲警報を告げる音でも、火事を知らせる半鐘の音でもない、ロンドンで鳴り響いた音を使ったのは、当時の学校が、素晴らしい選択をした事になります。

木造校舎で、廊下も教室も、”ギィーギィー"と鳴る音が懐かしく思い出されます。弁当がなかった時は、甲州街道沿いの肉屋さんに跳んで行って、コッペパンに馬鈴薯のコロッケを挟んで、ソースをかけてもらったり、コッペパンにピーナッツバターやマーガリンを塗ってもらって、昼御飯にした事がありました。美味しかったのです。そう言えば、あのコロッケを、ずいぶん食べていないのです。

豚カツとかメンチカツとかハンバーグ以上に、このコロッケの味が懐かしいのです。美味しかったのは、目の前で揚げたてだったからでしょうね。あの肉屋さんは、まだやってるのでしょうか。どこの学校の近くにも、こう言った店が、日本中にあった時代です。スーパーの透明容器に入ったものでは、代用になりそうにありません。

今度帰ったら、そう言った店を見つけて、子どもたちの後に並んで、『おばちゃん、コロッケいっこちょうだい!』と、もう一度言ってみたいなと思っています。今では、どこも綺麗にまとまり過ぎて、ああ言った食文化や情緒が失われてしまったのは、残念至極です。あれって"Big Ben"の義兄も知っている味ではないかな、そう懐かしく思い出しています。

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