『何の肉だかわからねーぞ!』

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「場末」と呼ばれるのようなところ、例えば、東京の「山谷」、大阪の「釜ヶ崎」、横浜の「真金町」など、昼間は決して足を入れたくないような界隈(かいわい)ですが、薄暗くなった夕刻には、提灯に灯が灯って、怪しげな匂いがしてくるのです。小汚い食堂があって、お金の乏しかった学生の私は、そう言ったところで食事をしたことがあります。安くて、量も多くて、満腹できたのです。足繁く行った、いいえ連れて行か れたのが、新宿の西口の線路際にあった食堂街でした。中学生など、他には誰一人見当たらなかったのですが、大学生や高校生のあとについて行き、暖簾をくぐって、隣にちょこんと座って、おごってもらう機会が多くありました。

でも、美味かったのです。お腹が空いていて、家に帰るまで持たないないような中で食べたのですから、なんだって美味いはずです。「丼もの」を、よく食べたと思います。大学生が、「何の肉だかわからねーぞ?」と言っていました。そんなことを意に介さずに、パクパクと食べてしまいました。身長が一年に10cm以上も伸びる伸長期でしたから、あの時の食べ物が肉になり骨になっていたに違いありません。

今、「食品偽装」が、マスコミに叩かれて、実に多くのホテルやレストラン、スーパーや食堂の責任者が、「謝罪会見」をしています。何か、異常さを感じるのですが。もちろん赦されることではないのですが。あんな風に叩かれたら、「埃り高い」私などは、次から次へと、人間性の問題や過失が暴露されそうです。この「偽装」に問題は、日本の社会にある、「弱い体質」なのではないでしょうか。それを糾弾する「マスメディア」の「これでもかこれもか!」という攻勢、「徹底的に叩き出さずにはおかない!」という在り方、姿勢も、実に日本的だと思えてなりません。マスコミって怖いものだと思います。

新宿で食べた、あの「ドンブリもの」ですが、食べちゃった後、半世紀以上も昔のことを、「猫だ犬だ鼠だ!」と騒いで見ても、みんな厠に行ってしまったのです。「美味かった!」で好いのはないでしょうか。兎角、この世は嘘がまかり通っていて、嘘のままで真実が明かされないで、満足している人を眠りから起こさない方がいいのかも知れません。あれもこれも叩き出したら、日本国は成り行かなくなるに違いありません。知らない方が、恨まないでいいかも知れません。

小学生の頃、父が渋谷で、「子牛の肉」を食べさせてくれました。合い挽き肉のハンバーグを食べるくらいの牛肉体験しかなかったのに、「ドイツ料理」をご馳走してくれたのです。アメリカでも、アルゼンチンでも、東京でも、あれほど美味しかったビーフは、それ以来一度も食べていません。疑えば、あの肉だって「子牛」ではなく、圧力鍋で柔らかくした「成牛」だったかも知れません。温かくて、今でもジーンと胸にくる父の気持ちを思い出して、「美味かった!」のままが一番です。

(写真は、1952年当時の「渋谷駅・スクランブル交差点」です)

復興を!

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「天変地異」とは、デジタル大辞泉によりますと、「天変と地異。自然界に起こる異変。台風・地震・洪水など。」とあります。この数年、今まで聞いたことのないような、「ゲリラ豪雨」とか、「風呂桶をひっくり返したような豪雨」という言葉を、天気予報やニュースで耳にするようになりました。それも日本だけの気象情報ではなく、世界中から、ハリケーンとか竜巻、異常降雨とか日照りと言ったことが伝えられてきています。先週は、フィリピンが、台風30号の襲来で、甚大な被害を蒙ったとのニュースがありました。1000万もの被災者が、レイテ島などにあり、死者も2300人もあり、今後増えそうだと言っております。

生まれてから、これまでで一番驚いたのは、「東日本大震災」の「津波」でした。映像で見ただけですが、まさに、「海と波があれどよめく」と言った自然の猛威でした。その様子を見ていた私も、その津波を高台から、驚きの声をあげて見入っている人の顔も、「不安」で一杯にさせられてしまいました。これまでの時代は、雨の降る量も風速も、気温も気圧も、「制限」されていて、その垣根を超えることは、まずほとんどと言って好いほどなかったのではないでしょうか。大きな手が、阻止していたのです。それなのに、その手が引っ込められてしまっているかのように感じてなりません。島根県の西、山口県に隣接するところに、「津和野」という町があります。「小京都」と言われる街並みで名を馳せていますが、今夏は、その豪雨のニュースで有名になった町です。ほとんどニュースになったことのない町なのですが。

気象異常だけではなく、日本やアメリカやヨーロッパ諸国からのニュースを聞きますと、「発砲事件」、「殺人事件」が多発して、人心が乱れて、待ったり我慢したりできない現代人と特徴のように思えてなりません。「人の愛が冷えている 」のでしょうか。それが間接的な原因で、自然界の正常な運行を狂わせてしまっているようにも思えるのです。

静かな秋に、「木枯らしが吹き始めました!」とニュースを聞いた途端の「台風襲来」の衝撃のニュースでした。「最大瞬間風速105m」とは想像を絶する勢力です。ここも日本も、間もなく冬になりますが、どなたも来年が心配になってきているのではないでしょうか。ただ、受けるだけで、人間の強い願いも思いも、自然の猛威を防ぐためには、どうすることもできません。自然の力の前に平伏する以外にないのでしょうか。「恐ろしさのあまり気を失う」ようなことにならないように願う、悲しいニュースが、フィリピンから伝えられている十一月の中旬です。被災者のみなさんの健康と、被災地の復興をこの華南の空の下からお祈りいたします。

(写真は、「台風」の衛生写真です)