男の好い顔

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男として、『好い顔だ!』と言うのは、この「高倉健」ではないでしょうか。カメラの前に立った時に、演じている顔ではなく、八十二年間生きてきた化粧のない顔です。その顔で、『ほとんどは前科者をやりました。そういう役が多かったのにこんな勲章をいただいて、一生懸命やっていると、ちゃんと見ててもらえるんだなと素直に思いました。』と、<文化勲章>受賞後の記者会見で話していました。

半世紀前に、初めてこの人の映画を観た時に、『不器用だなあ!』と、正直に思いました。でも、「八九三(やくざ)」の悪(わる)を演じていても、真剣に生きている男の「真実」や「意気」、小説風にいうと、「男気」を感じたのです。六十年近くも、「人の夢の代役」を演じ続けたことへの褒賞を得たことになります。ダムや橋梁やビルを作ったり、工業機械作ったりはしなかったのですが、「義理」や「人情」の冷えた社会に、人の「心情」を表現したことにも「文化的な意義」があるのでしょうか。

1976年に、日本で「君よ憤怒の川を渉れ」という映画が上映されました。濡れ衣を着せられる、地検の検事である、「杜丘冬人」を、高倉健が演じたものでした。この映画が、文革後の1979年に、中国で上映されたのです。驚くことに、数億人が見たと言われるほどの空前の人気を博したと言われています。それででしょうか、中国に来ました時に、『杜丘(duqiu)を知ってるか?』と聞かれて、何を聞かれたのか皆目分からなかったのです。その人は、若い時に、この映画を観た人だったのです。高倉健の名前よりも、主人公の「杜丘冬人」の名前の方が有名だったほどです。この映画を見た青年の一人が、「紅いコウリャン」を監督した「張芸謀」だったのです。彼を映画の世界に誘ったのが高倉健でした。彼の夢は、『いつか高倉健と・・・・!』とで、2006年に、高倉健の主演で「単騎、千里を走る。」を監督し、夢を果たしたのです。

中国の五十代以上では、圧倒的な知名度がある日本人が、この高倉健なのです。きっと、大きな活字で、文化勲章の受賞が報じられることでしょう。スクリーンを通してでも、日中友好が前進したことの強い証左であります。健さん、受賞おめでとうございます。

(写真は、文化の日に受賞した後の会見の模様<産経新聞>です)