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今朝、買い物当番で、無料送迎バスに乗って台湾系のスーパーマーケットに行ってきました。このバスは、店までの間の路肩で、手を上げて乗車の意思を示すと、止まって乗せてくれるのです。いつも満員なのですが、今朝は5人ほどしか乗客がいませんでいた。他のスーパーが特売でもしてるのでしょうか。この地域には、フランス系、イギリス系、アメリカ系と、国際色が豊かで、さながら激戦区の様相です。日系がないのが少々寂しいのですが。

買物を済ませて、外のベンチに座って、第二便の到着(このバスが帰りの便になるのです)を待っていました。朝の8時半過ぎでしたから、清掃をしている時間帯で、何人もの方がそれぞれに、担当の場所を掃除をしていました。若い男性が、コンクリートの三和土(たたき)になっているところに、掃除に使った汚水をまいていました。向こうの方では、五十前後の婦人従業員が、同じように汚水の入ったバケツを下げてきました。三和土に流すのかと思ったら、そうではなく、植木のところに行って、「水遣(みずや)り」をしたのです。さすが、若い男性と違って、水の再利用を賢くしていたわけです。

長女が幼稚園に行っていた時、五月頃だったでしょうか、農家の休耕地を借りて、サツマイモの苗を、お父さんやお母さんが助けながら、園児たちが植えたのです。田舎のおじいちゃんは農業をしているかも知れませんが、お父さんやお母さんは勤め人が多かったので、みんなは初めての経験だったようです。土をいじりたがらない子もいましたが、わが家は、家の近くに畑を借りて、「家庭菜園」をしてましたので、長女は慣れていたようです。あのような経験は好いことですね。人が、だんだん土に触れなくなってきているからです。

その時一人の若い先生が、側溝の流れから水をバケツに汲んで、鍬などの農具を洗っていました。そうしたら、その水を、先ほど植えたサツマイモの苗に、やさしく「水遣り」をしたのです。そうしましたら、一人の若いお父さんが、『さすが百姓の娘だ!』とからかい気味に言ったのです。それを聞いて、『そういうもんなのか!』と納得したのです。水を無駄に使ってきた私は、農家が、どんなに「水」を大切にするものなのだということを教えられたのです。

こちらでも、台所の水をバケツにとっておき、それをトイレに流したり、掃除に使ったりしておいでです。何となく、人の行動を眺めていて、昔のことを思い出した次第です。学問の中には、「行動学」というのがあるようですが、『人間って面白い、』と、つくづく思わされています。

(写真は、台湾系スーパーの店頭風景<台湾>です)