「故郷」

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日本と関わりのある中国の文人は、何人もおいでです。児童文学者の「謝氷心」、日本語が堪能であった「周作人」、この周作人の兄で、中国では著名な作家の「魯迅」などの名を上げることができます。とくに魯迅は、「近代中国の文学の父」と呼ばれた逸材でした。この彼の作品に、「故郷」があります。短編ですが、彼の生まれ育った「紹興」についての思いを記しています。

その冒頭に、「わたしは厳寒を冒して、二千余里を隔て二十余年も別れていた故郷に帰って来た。時はもう冬の最中(さなか)で故郷に近づくに従って天気は小闇(おぐら)くなり、身を切るような風が船室に吹き込んでびゅうびゅうと鳴る。苫の隙間から外を見ると、蒼黄いろい空の下にしめやかな荒村(あれむら)があちこちに横たわっていささかの活気もない。わたしはうら悲しき心の動きが抑え切れなくなった。おお! これこそ二十年来ときどき想い出す我が故郷ではないか。」とあるのは、「紹興」の街なのです。浙江省の古都で、そこは、長江のデルタ地帯に位置しているようです。まだ行ったことがありませんが、いつか訪ねて見たいと思っております。

前にも、魯迅の「藤野先生」について書きましたが、医者志望の彼が、魯迅は、医学の道を断念し、文筆の道に進路を転換していますが、そのきっかけとなったのが、藤野源九郎が見せた「幻燈(スライド)」でした。ある時、授業が早めに終わったのでしょうか、残りの時間に、日露戦争の様子を写したスライドが映写されたのです。魯迅は、この中で、スパイを働いたとして、日本軍に処刑される中国人と、それを、ぼんやりと見ている周囲の中国人の様子を見ました。魯迅は、この時の衝撃を、『愚弱な国民は、たとい体格がどんなに健全で、どんなに長生きしようとも、せいぜい無意味な見せしめの材料 と、その見物人になるだけはないか!』と、「吶喊(とっかん)」という作品の中で書き残しているのです。魯迅が感じたのは、医療よりも、まず同胞・中国人の「精神の改造」こそが最重要なことだと心に決めます。それで、医学校を退学し、帰国して文学の道に分け入るのです。

やはり、近代中国の文学界に綺羅星のように輝く魯迅の作品は、日本人の共感を得て、大変好まれています。この「故郷」は、中学三年の「国語」で取り上げられて、学ばれているほどの作品です。自分の故郷を思うのに、良い参考になるのではないでしょうか。魯迅の弟の周作人も優れた人物なのです。隣国中国の文学作品に触れるのも、友好の前進のために必要かと思う、「読書の秋」であります。

(写真は、「紹興」の一風景です)