勘違い

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 1922年(大正11)、野口雨情‥作詞、本居長世・作曲の童謡、「赤い靴」が世に出ました。

赤い靴(くつ) はいてた 女の子
異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった
横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった
今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう
赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢(あ)うたび 考える

 姉も妹もいない男四人兄弟でしたから、我が家に赤い色の服、ズボン、靴などは、まったくありませんでした。母もけばけばしい色を好まなかったので、男所帯の殺伐さ、無味乾燥さがあふれていたのだと思います。ラジオから時々流れてきたのが、この「赤い靴」でした。女の子のイメージは、『オカッパ頭をし、赤い靴を履いている!』、これが一番の印象だったわけです。この童謡で歌われている「女の子」は、異人さんにさらわれて(?)、横浜の港から船に、むりやりにのせられて(?)、遠い国に連れて行かれる、といった暗い印象が強くて、この歌を好きになれませんでした。この悲劇(?)の女の子は、『どんな生活をしているのだろう?』と、考えてみたこともありました。

 もちろん姉妹がいなかったので、『いたらいいな!』とは思ったことはありましたが、五番目も男の子の確率が高かったのですから、母にお願いするわけにもいきませんでした。家内が、ついこの間、「勘違い」でしょうか、間違って聞き覚えてしまったという話を聞いてきて、話してくれました。「うさぎおいし」を、『美味しいい兎!』と思い続けててきた人もいるのですから、他にも大勢いるのですね。この、「いじんさんに つれられて 行っちゃった 」というところを、『いいじいさんにつれられて・・・』と覚えていた人がいたようです。〈好い爺さん〉だったら、きっと幸せになっているわけです。すごく肯定的で、可能思考の聞き方だなと思って感心してしまいました。

 以前、「通販生活」という雑誌の中に、「子は鎹(かすがい)」を、『子はカスがいい!』と聞いて、そう信じ切って、どうにも手のつけられない〈不良の子〉を、ありのままで受け入れて、立派に育て上げた、一人のお母さんの〈勘違いの話〉を読んだことがあります。学業も素行もよくないわが子を諦めないで、捨てもしないで、育てたお母さんの〈勘違い〉を、実に微笑ましく読んだことでした。生意気で、不純物だらけの〈滓(かす)〉のような私を、父も母も諦めないで育て上げてくれたことを思い返して、遠い日本の空の上に目を向けると、感謝が胸の奥からあふれてきそうです。

(写真上は、http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=15554148の「赤い靴」です)