子どもの頃、「おじいさん」の印象というのは、舟をこぐ「船頭さん」のことで、年は六十歳、それでも元気イッパイに生きている人、そういったものでした。この「船頭さん」という歌を、今でも、子供たちは歌うのでしょうか。武内俊子・作詞、河村光陽・作曲で、1941年(昭和16年)に発表されています。
村の渡しの 船頭さんは
ことし六十のおじいさん
年はとっても お船をこぐ時は
元気一ぱい ろがしなる
それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ
父が六十だと聞いた時、また兄が六十になり、今度は自分が六十になった時、「六十」が、おじいさんであるという感覚はありませんでした。まだ顔はつややかでしたし、背もぴんとしていましたし、現役で働いていたからです。まあ若干、髪の毛が白髪が多くなっていましたが、おじいさんの実感はなかったのです。
実は、この「船頭さん」の歌は、私たちが覚えた時代は、いなかの田園風景を彷彿とさせる童謡でしたが、作られたのが戦争中で、〈戦意高揚〉の目的で作られた「戦時歌謡」でした。元歌には、次のような二番と三番とがありました。
2.雨の降る日も 岸から岸へ
ぬれて舟こぐ おじいさん
今日も渡しで お馬が通る
あれは戦地へ 行くお馬
それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ
3.村の御用や お国の御用
みんな急ぎの 人ばかり
西へ東へ 船頭さんは
休むひまなく 舟をこぐ
それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ
『六十になったおじいさんが、今でも、軍馬を戦地に送るために、頑張って仕事をしているのだから、銃後にある国民は、このおじいさんに倣って、懸命に、お国のために働き、生きていかなければなりません!』と言いたかったのでしょうか。幼子も大人も、歌って戦意を高めていったのです。平均寿命の短かった当時、雨の日も休む暇なく働き続けれる六十の労働は、少々、過酷な労働を強いられていたようで、気の毒になってしまいます。戦争に負けて、この歌は、一番はそのままで、二番と三番は、改作されています。
今では五歳ほど繰り下げて、「65歳以上の高齢者」という表現が使われてるようです。映画館のスクリーン、学校帰りに友人と固唾を飲んで見守っていた三十代の高倉健が、そこに映し出されていました。彼が、八十代になっていると聞いて、やはり驚きを隠せません。憧れて観ていた私たちも、六十代の後半になっているのですから、当然といえば当然なのですが。この高倉健が主演した、「君よ憤怒の河を渉れ(中国の題名〈追捕〉)」という映画が、1978年に中国で公開され、何億という観客を動員したと言われています。日本の映画人で、最も有名なのが高倉健だと言われているそうです。彼も「おじいさん」、私も「おじいさん」になりました。
(絵は、琵琶湖の渡しの舟をこぐ「船頭」です)