ドライブ

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 シンガポールで働いている長女が、一週間の休暇をとって、この日曜日に、私たちを訪ねてくれました。天津にいた時に一度、訪ねてくれ、以前住んでいた家に一度、そして今住んでいます家には、昨年の秋についで、二度目の訪問になります。今、弁当を家内と一緒に作ってくれています。私たちの若い友人が、大学の授業を終えて、昼前に尋ねてくると、昨晩約束してくれ、今日は、近くの「避暑地」にドライブに誘ってくれたので、その昼食の準備をしているのです。あいにく天気が曇りで、ちょっと肌寒い感じがしていますが、車を持たない私たちが、公共バスではなく、自家用車で郊外に出かけられるのは、実に感謝なことです。

 日本では、ずっと車のある生活をしていましたから、バスと徒歩、時にはタクシーのこちらの生活には慣れたとはいえ、『車があったら・・・!』と思う時が、たまあります。久しぶりに尋ねてくれた娘を、飛行場に出迎えたり、近くの観光スポットに連れて行くといった便利さがないのが、ちょっと残念なのであります。成田に着いた娘たちを、何度、車で出迎えに行き、また、成田まで乗せて見送ったことでしょうか。十数年以前のあの頃が、実に懐かしく思い出されてきます。下の娘を送った時に、渋滞にひっかかって、飛行機の出発時間に間に合わないので、近くの駅までターンしたことなどもありました。

 家族の訪問というのは、なんとも嬉しいことなんです。先日、日本に出張した折に買ってきた物をシンガポールの持ち帰って、その持ち物を、自分の持ち物以上にパックして持ってきてくれました。大好物のトマト、佃煮、漬物、家内の肌着、私の冬用のタイツ、その他に、なんと和牛のステーキの肉、サーモンなどもはいっていました。「食べ物」、しかも「日本の味」を楽しませようとしている娘心なのです。子育て中、私たちが演じた役割が、今では逆転してしまっているのには苦笑いで、頬張っては満足しているところです。嬉しいものです。

 アメリカで、子どもたちが学んでいた頃に、生活費や学費でイッパイいっぱいで、小包に好物を詰めて送ることを、ほとんどしなかったのを思い出して、こんなに嬉しく感じるのを実感して、『むりしてでも差し入れしてあげればよかったなあ!』と悔やんだりしています。時間がすぎていくはやさに唖然としているこの頃ですが、タイムスリップできるなら、もう一度父親をやり直せるのなら、食べ物を削ってでも、子どもたちを喜ばせたいと思っております。

 そろそろ迎えに来てくださる時間です。カメラを持って、お弁当を持って、ちょっと厚着をして出かけることにします。そんな晩秋の週日の昼時であります。

(写真は、季節外れですが、アカシヤの花です)

話芸の巧みさ

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 新宿の伊勢丹のそばに、「末広亭」という寄席があります。何度か、このブログでも取り上げたことがあったかと思いますが。背伸びして、早くおとなになりたかった私は、兄のすることを真似たり、兄の服を来たり、様々に兄の〈追っ掛け〉をしていた時期がありました。それは、どうも〈弟の習性〉のようで、「真似乞食」をする年齢があるのだそうです。そんな真似の一つが、よせばいいのに「寄席通い」でした。学校の帰りに、時間とお金のあるときに、暖簾をくぐって、落語を聞きに入ったことがありました。あの時、何を話していたのかは、ほとんど記憶にないのですが、日本の話術の巧みさには、興味が尽きなかったのは感心したものでした。

 落語を日本文化の一翼に押し上げるほどに貢献した噺家に、三遊亭圓朝(1839年~1900年)という方がいました。江戸末期に、江戸の湯島切通町で生まれ、5歳で高座に上がったそうで、江戸、明治の落語界で活躍されています。江戸落語を集大成したことから、〈落語界の中興の祖〉とまで言われています。こういうのを、『たかが落語。されど落語!』といえるのでしょうか。

 話の「うまさ」では、この人の右に出る者はいなかったそうで、明治の文豪、夏目漱石が、このかたの落語が好きで、ちょくちょく寄席通いをして、聞いたのだそうです。漱石の作品の中のくだけた会話文は、圓朝の寄席噺から受けたものだと言われるほどです。近代日本語を形作った夏目漱石に、多大な影響力を与えているのですから、圓朝は高く評価させるべき人ではないでしょうか。

 「青空文庫」というサイトがありまして、どなたもアクセスできるのですが、文字で書かれた噺が、幾つも掲載されています。私は、時々読んでみますが、落語というのは、文字ではなく、音声で聞かなければ、伝わってこないのではないかと結論しております。ですから、テレビやCDやDVDではなく、寄席で聞くなら、落語の良さがわかるのではないでしょうか。

 昭和の噺家で、名人と言われ、自分でも聞いたことのある師匠は、三遊亭円生、古今亭志ん生、柳家小さん、三遊亭金馬あたりではないでしょうか。この志ん生の長男で、先年、惜しまれて亡くなった古今亭志ん朝の兄である、金原亭馬生という噺家がいましたが、落語のうまさでは、ピカ一なのではないかと思います。それぞれ贔屓(ひいき)があると思いますが、お父さんの志ん生も、弟の志ん朝も、とびきりの噺家でしたが、私は、金原亭馬生が好きでした。そう、過去の人になってしまいました。私も話す仕事をしていましたので、そういったことで「落語」には強い関心があったのです。

 中国にも、掛け合い漫才のような芸人がおれるようで、テレビ等で聞くことができます。ところが、日本のような、一人で、三味線のお囃子で登場し、扇子と手拭いだけを小道具に、座布団の上に座って話芸をし、悲しみ思い悩んでいる人を、笑いに誘うプロの芸というのは、驚くほどの話術だと思います。腹を抱えて笑ったのは、三遊亭金馬の落語でした。ラジオで聞いた中学生の私が、笑い転げ、思い出しては吹き出すほどだったのです。

(写真は、CDのスチールの「金原亭馬生」です)