新宿の伊勢丹のそばに、「末広亭」という寄席があります。何度か、このブログでも取り上げたことがあったかと思いますが。背伸びして、早くおとなになりたかった私は、兄のすることを真似たり、兄の服を来たり、様々に兄の〈追っ掛け〉をしていた時期がありました。それは、どうも〈弟の習性〉のようで、「真似乞食」をする年齢があるのだそうです。そんな真似の一つが、よせばいいのに「寄席通い」でした。学校の帰りに、時間とお金のあるときに、暖簾をくぐって、落語を聞きに入ったことがありました。あの時、何を話していたのかは、ほとんど記憶にないのですが、日本の話術の巧みさには、興味が尽きなかったのは感心したものでした。
落語を日本文化の一翼に押し上げるほどに貢献した噺家に、三遊亭圓朝(1839年~1900年)という方がいました。江戸末期に、江戸の湯島切通町で生まれ、5歳で高座に上がったそうで、江戸、明治の落語界で活躍されています。江戸落語を集大成したことから、〈落語界の中興の祖〉とまで言われています。こういうのを、『たかが落語。されど落語!』といえるのでしょうか。
話の「うまさ」では、この人の右に出る者はいなかったそうで、明治の文豪、夏目漱石が、このかたの落語が好きで、ちょくちょく寄席通いをして、聞いたのだそうです。漱石の作品の中のくだけた会話文は、圓朝の寄席噺から受けたものだと言われるほどです。近代日本語を形作った夏目漱石に、多大な影響力を与えているのですから、圓朝は高く評価させるべき人ではないでしょうか。
「青空文庫」というサイトがありまして、どなたもアクセスできるのですが、文字で書かれた噺が、幾つも掲載されています。私は、時々読んでみますが、落語というのは、文字ではなく、音声で聞かなければ、伝わってこないのではないかと結論しております。ですから、テレビやCDやDVDではなく、寄席で聞くなら、落語の良さがわかるのではないでしょうか。
昭和の噺家で、名人と言われ、自分でも聞いたことのある師匠は、三遊亭円生、古今亭志ん生、柳家小さん、三遊亭金馬あたりではないでしょうか。この志ん生の長男で、先年、惜しまれて亡くなった古今亭志ん朝の兄である、金原亭馬生という噺家がいましたが、落語のうまさでは、ピカ一なのではないかと思います。それぞれ贔屓(ひいき)があると思いますが、お父さんの志ん生も、弟の志ん朝も、とびきりの噺家でしたが、私は、金原亭馬生が好きでした。そう、過去の人になってしまいました。私も話す仕事をしていましたので、そういったことで「落語」には強い関心があったのです。
中国にも、掛け合い漫才のような芸人がおれるようで、テレビ等で聞くことができます。ところが、日本のような、一人で、三味線のお囃子で登場し、扇子と手拭いだけを小道具に、座布団の上に座って話芸をし、悲しみ思い悩んでいる人を、笑いに誘うプロの芸というのは、驚くほどの話術だと思います。腹を抱えて笑ったのは、三遊亭金馬の落語でした。ラジオで聞いた中学生の私が、笑い転げ、思い出しては吹き出すほどだったのです。
(写真は、CDのスチールの「金原亭馬生」です)