『あっ、いけねー!!』

.

 この街に来たての時に、小さなくだもの屋さんで「柿」を買いました。赤くて美味しそうだったからです。家に帰って、皮を向いて頬張りましたら、『渋うううう!』と声を上げてしまったのです。それ以来、『中国の柿は、ドロドロと柔らかいか、渋いのだ!』と結論してしまいました。それ以来、秋になるたびに店頭に並べられてある、秋の最高の味覚で、『柿が赤くなると、医者が青くなる!』という好物を避けてきたのです。

 ところが、だったのです。今日の日曜日の朝、いつも降りる一つ手前のバス停で、家内と一緒にバスから降り、家内が友人宛に書いた手紙をポストに投函しました。この路線で、行く先に唯一あるポストだからでした。一停留所歩いた時に、いつも通らない奥の道を歩いたのです。そこは両側にたくさんの店があって、人だかりがイッパイの脇道でした。雑貨道具、寝具、精肉、野菜などなど、数多くの物が売られていました。そこに数軒のくだもの屋もありました。秋たけなわですから、何種類もの柑橘類の黄色が目立つ店頭に、「柿」も数種類並んでいました。家内に、『帰りもこの道を通って、この柿を買おうか!』と言って通り過ぎました。

 用がすんで、行き先の家から、大通りに出ましたら、なんと交通規制がしかれていて、「POLICE(警察)」と印字されたテープが、延々と上下6車線の道路の両脇に張られていて、沿線は人と車の動きが封じられて、人であふれていました。その人をかき分けて、脇道に入り、朝のくだもの屋で、お目当ての柿を買いました。7つほどで、13元でした。ちょっと高めでしたが、何年ぶりかに買い求めた「柿」を引っさげて、家の近くの「麺類店」で、この土地の名物の麺を食べました。独特の味付けで、私の好物なのです。最近、家内を誘ってよく食べています。以前は3元だったのですが、今では7元になっていますが、諸物価高のこの頃であります。お腹がくちくなって、家にたどり着き、早速、件(くだん)の「柿」を洗って、皮を向いて、おそるおそる口に含みましたら、なななんと、甘いではありませんか。あの御所柿や大きな富有柿にも匹敵するような「甘さ」だったのです!

 『うわー、もっと早く出会いたかった!』との思いが、一番に湧き上がって参りました。あの何年か前の決断は、先入観だったわけです。こんな「うまい柿」が中国にあったのです。それを知らなかったばかりに、何か損をしてきたように感じてしまいました。くだもの屋の板番(Laoban、店主の意味です)に、『甜吗(Tianma、甘いですか?)』と聞いたら、『甜!』と応えてくれたのですが、其の応答に疑いが半分でした。ところが、食べてみて、その言葉は本当だったのです。

 無くなっていたものが、何年もたってから返ってきたような感じがしております。私の好きな果物は「柿」なのです。それで、『私の好きな外国の果物は「ドリアン」、私の好きな日本の果物は「柿」・・・』に訂正したいと思います。でも、自分の好きな「ドリアン」も「柿」も、ここ中国で食べているのですから、どういった表現にしたらいいのでしょうか。「柿」といえば、あの石田三成に倣(なら)って、決して「柿」を食べない弟の顔が浮かんで参りました。あっ、いけねー、弟の誕生日が、11月14日だったのを忘れていました。この十日頃に、『誕生祝いのメールを出さなくては!』と思っていたのですが、忘れてしまいました。早速、四日遅れの誕生祝いをすることにしましょう!

(イラストは、「素材屋花子〈http://sozai.rash.jp/p/000052.html〉」の作品です)

「望郷」

.

 中高6年間、通学した中央線の国分寺駅の北口に、「名画座」がありました。今でもあるのでしょうか。銀座や新宿や渋谷などにあった「封切館」は、新作の映画が上映されていたのですが、都下の通勤通学駅にあった「名画座」は、何年も何年も前に上映されたアメリカやフランスの映画を再上映していたのです。二本立ての映画が週替わりで上映されて、入場料は幾らだったのでしょうか、親にもらった小遣いを工面しては、たびたび観に行きました。制服を着ていて、どこの学校の学生かわかるのに、学校に通報されるようなことがなかったのです。食い入るように、映画の世界に浸り込んでいた時代だったのです。

 1950年後半~60年前半の頃、日本は、まだまだ欧米諸国の生活水準には至らなかった時期でしたから、スクリーンに映る、アメリカやフランスの物量の豊かさや、華麗な生活に圧倒されてしまいました。それはそれは羨ましい気持ちで、眺めてはため息をついていたのだと思います。乗り古した車が、うず高く積まれている場面に度肝を抜かれ、『日本はまだまだアメリカには及ばなんだな!』と思うことしきりでした。

 そんな多くの映画の中で、「望郷(Pépé le Moko)」という フランス映画 が、名画座でかけられていて、観ました。名優ジャン・ギャバンの演じる、「ペペル・モコ」が主人公で、北アフリカのアルジェリアのアルジェが舞台でした。ペペル・モコは、パリ警察の追求を逃れて、このアルジェに逃げ込んだ犯罪者だったのです。彼の恋物語や、パリへの望郷の思いが、この作品の物語の中心だったでしょうか。「カスパ」という街の一画は、犯罪者のたまり場所でしたが(現在では、世界遺産に指定されているそうです)、活気に満ちていたのが思い出されます。真っ青な空の高い北アフリカ、その海も紺青色にかがやき、波頭が白い、そんな異国情緒があふれていた映画でした。「FIN」という、終わりの字幕が出る直前に、ペペル・モコが、『キャビー!』と呼ぶ声が、実に印象的でした。

 今度帰国しましたら、国分寺で下車して、昔、学校を早退して、ちょっぴり後ろめたい思いで歩いた道をたどって、名画座に行ってみようかな、と思っております。斜陽で、多くの映画館が閉館を余儀なくきれていますから、もう無いかも知れませんね。我が青春の一ページを、めくり返したい気持がしてきているのは、晩秋のたたずまいのせいかも知れません。犯罪はともかく、恋に命がけに生きるペペル・モコの生き方の真似など出来ませんでしたが、あの眩しく輝く北アフリカの光景も、妙に瞼に焼き付いているのは、どうすることもできません。

(写真は、アルジェリアの首都アルジェの「カスパ」と呼ばれる街の路地裏の今の様子、下は、「カスパ」の遠望です)