山行きのドライブ

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 中部地方の山岳の一つに「八ヶ岳」があります。富士山と対峙した山々で、JR中央本線や中央高速道路を、甲府からしばらく走りますと、前方から右手に、眼に飛び込んでくる、実に美しい連峰です。2899メートルの赤岳が最高峰で、冠雪を頂い晩秋から冬の光景は、実に見事です。この赤岳は、深田久弥が選んだ「日本百名山」の一つに数えられています。

 この八ヶ岳の山梨県側に、小淵沢と長野県の小諸を結ぶ、「小海線(JR)」という山岳電車があります。この線には、JRの最高駅と言われる「野辺山駅」があります。この一帯は、戦後開拓された農村地帯で、今は、高原野菜と呼ばれるレタスやキャベツなどが栽培されていて、アメリカの農村地帯を彷彿とさせるほどの規模を誇っています。東京大学の天文研究所でしょうか、天体望遠鏡を持った施設も近くにあって、星が降るように見えて、煩わしいこの世のことごとを、一時忘れさせてくれます。

 この八ヶ岳の麓に、牧場や宿泊施設や研修センターなどを持った、「清泉寮」があります。アメリカ人で、立教大学の教授をしていた、ポール・ラッシュが指導して、1938年に、「KEEP(Kiyosato Educational Experiment Project:清里教育実験計画)」の事業のの一環として 建てられた研修施設でした。戦後、満州などから帰国した人たちに、「農村モデルセンター」として、農業指導にあたったのです。当時、日本中から農業を志す青年たちがやってきて、「牧畜」や「高原野菜の栽培」などを学び、その教えを持って全国に散って行き、牧場経営や農業経営をしていったと言われています。

 私は、ここから眺める山が好きで、幾度となく訪ねては、この寮の名物である、「ソフトクリーム」をなめながら、妻や子や友人たちと語らいながら眺めたものでした。この地域は風光明媚ということで、京浜地帯の学校や会社、更には市や街の宿泊施設が建てられ、また「ペンション」も建てられています。行くたびに、増えていくペンションには、驚かされてしまいました。ですから、夏や春や秋の行楽シーズンの「清里駅」は、さながら原宿のような光景を見せていた時期がしばらくありました。最近では、観光ブームが去ってしまったのでしょうか、人影が少なくなってしまって、もとの静けさが戻ってきているようです。

 昨日、家内と訪ねて来た娘と私は、友人に車で連れていって頂き、山に行って来ました。日本なら、さながら「平家の落ち武者部落」とでも言えそうな、山奥の農村が、「避暑地」として開発されていました。まだまだ「清里」のような賑わいからは程遠いですし、電車の路線もありませんが、これから十年もたてば、「中国版・清里」が出来上がるのではないかと思わされました。部落の真ん中に、樹齢1300年ほどの「杉」が記念樹として保護されていていました。谷底を見下ろすあたりの景観に、娘は感動させられていて、鳥のさえずりが聞こえ、マイナスイオンに触れ、「森林浴」は、シンガポールでは味あえない機会だったようです。

 私が以前、読んだことのある本の著者が、このあたりで「研修会」をしていたという古びた建物も見学することができました。日本から持参した数少ない本の中に、この方の本もあるほどです。それに少々驚かされてしまいました。こんな深山に、車も何もない時代に、人々が登ってきて学んでいたのだと言われて、その学びの余韻が残っているような錯覚も感じてしまうほどでした。もし車を持っていたら、時間の許す限り、思い煩いを麓において、それから登ってきて、『ボーッと放心したり、友人や家族のことを思ったりしたいものだ!』と思ってしまいました。向こうの山に向かって、『ヤッホウー!』と叫んでみましたが、山が高すぎて、〈こだま〉が返ってきませんでした。残念!

(写真は、JR小海線と八ヶ岳です)