好きな歴史人物は「高杉晋作」

.

 日本人が活き活きしていた時代はいつなのか、最近考えています。鎌倉時代には、体格も大きく、活発で溌剌とし、大らかであった、ということを、歴史の時間に教師から聞いたことがあります。三百年に及ぶ江戸幕府の支配の中で、もしかしたら日本人は萎縮してしまったのかも知れません。ところが、幕府自身が、統治力を弱め、財政的にも行き詰ってしまいます。そんな国内事情に追い打ちをかけるように、欧米から開国を迫られる事態に直面してしまうのです。『この事態をどうするか?』と、それぞれに主張して、「尊皇攘夷」を叫ぶ青年たちが台頭してきます。彼らと、幕藩体制を堅持していこうとする「公武合体」を掲げる人たちの間で、激しい「勤王」と「佐幕」の対立が起こり、日本を二分してしまいました。

 青年武士たちが、自分の生まれ育った国の将来を考えていた時代、この時が最も活き活きとしていたのかも知れません。今年の8月に、船で瀬戸内海を帰路と往路とで、通過したのですが、関門海峡あたりにさしかかった時に、かつての長州藩が、海に向けて大砲を据えて、フランスやイギリスとオランダとアメリカと一線を交えたことを思い返させられたのです。花器の性能などからして、やはり刃が立たなかったのです。この戦いの時に、「奇兵隊」を結成して、雄々しくも欧米列強四国と戦ったのが、高杉晋作でした。責任者を罷免されたのですが、この彼の「志」は高かったのではないでしょうか。

 この戦争の前の年、1862年に、三ヶ月の短期ですが、上海を視察しています。清国がイギリスの植民地化していく様子や、太平天国の乱で荒廃した上海の様子を、つぶさに見たのです。その時代の動きを肌で感じたわけです。『このままでは、日本は清国と同じように植民地化していく!』という危機感を持って帰国しているのです。高杉晋作、22歳の時でした。私は、自分の22歳を思い返してみたのですが、ある研究所の職員として採用され、言われたことをし始めているだけで、天下国家を論じたり、国の行く末を憂えたり、国家存亡の危機感など、まったくもってはいませんでした。東京オリンピックが終わり、新幹線が列島を走り始め、経済界は活況の時を迎えていたのです。もちろん、右肩上がりの成長期には、危機感などなかったわけですから、仕方が無いといえば仕方が無いのかも知れません。

 しかし、今の日本は、「危機」に瀕しているのではないでしょうか。トヨタもパナソニックもソニーも、飛ぶ鳥を落とす様な勢いをなくしてしまいました。また30年も努力して、関係の改善や友好の促進のために骨折ってきた中日関係に、大きな亀裂が生じています。夢を見る時期の青年たちに夢がなく、不安材料ばかりが目に付いている低迷期にあるのでしょうか。こういった時期が、普通であるのかも知れませんね。あまりにも高度に経済力を強め強めたのですから、衰退期も、当然にように迎えなければならないのかも知れません。半年ほど前になるでしょうか、こちらの方が日本に出張をされ、経済不況だというのに、『日本には、活気がありましたし、購買力も大きいように見えました!』と話してくれました。まだまだ国力は残っているのでしょう。

 こういった時期に、高杉晋作のような器が、『この国のために!』と覚悟して、登場して欲しいのです。多くの高杉晋作が、この国の置かれている立場を鳥瞰し、『何をすべきか?』の答えを得て、日本人の心を強めて欲しいのです。軍人を求めていません。真に国を愛し、隣国の立場を理解をし、和して行くことができる策を講じられる器が欲しいものです。40代の体力も気力も活力も宿す、そういった指導者が欲しいものです。高杉晋作、弱さもあった人でしたが、時代の動きに敏感だったのです。「おもしろきこともなき世におもしろく(おもしろきこともなき世をおもしろく」、これが27年を生きた高杉晋作の辞世の句です。やはり、歴史的な人物として、興味が尽きず、好きなのは、この高杉晋作なのです。

(写真は、馬上の高杉晋作の銅像です)