あんころ餅のチョットしょっぱい思い出

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 格言に、『順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ!』とあります。何もかもうまくいってる時には、手放しで〈喜べ〉というのです。しかし、何をやっても失敗の連続、家の中も仕事も、そして対人関係も、何もかも駄目なときには、〈反省〉することだというのです。反省したら、逆境を乗り越えることができるし、順境の日も糠喜びすることなく、感謝して注意深く生きていけるに違いありません。私も落ち込むことがありますが、そんな状況下に長居しないことにしています。楽観的な生き方をしていくほうが、遥かにいいからです。大波小波、晴れの日も嵐の日も、上昇も下降も、様々な日々が、これまでありました。低迷の時には、必ず誰かが助け上げてくれたのを思い返すのです。家族や友人や見知らぬ人によってです。

 1週間臥せっていて、昨日、腰の疼く痛みが消えましたので、バスに乗って、授業をしに行きました。『無理かな?』と思ったこの一週間でした。反省をしてみても、痛みは引いて行かなかったのですが。4コマの授業は大丈夫でした。今まで、どんな仕事をしていた時でも、大体、始業時間の30分前にはスタンバイしています。今は、授業のポイントを板書をしたり、準備してきたことに思いを巡らしているのです。そうすると、そろりと一人二人やってくるのです。『いつも早いですね!』と学生さんたちが聞いてきます。『実は・・・』と、早いわけを話すのです。約束時間を破って友人を失ったことがあるのでと、いつもの話をするのです。『へえ!』という顔をして聞いていました。きっと、気が小さいのかも知れませんね。『遅れたらいけない!』との思いが強くて、そうするのだと思います。

 学校の教師の中には、始業ベルがなってから、やおらタバコに火をつけて吸いだす輩がいました。私は、ほとんどベルがなると同時に、ドアーを開けて教室に入っていましたが。私立の学校にいましたから、高い授業料を払って学んでいる学生さんたちに、それなりの努力をして接しなければいけないと思っていたからです。十二分に努力をして、教壇に立ちました。時間があると、用務員室に行っておじさんやおばさんと、渋茶を飲んで、世間話の仲間に入れてもらいました。職員会議で出たお菓子を、おばさんに、そっとあげたら、数日たって、『ちょっと、ちょっと!』と、そのおばさんが手招きをするので、そばに寄ると、ご自分で作った〈あんころ餅〉をくれたのです。『三月でやめるんです!』と言ったら、『好い先生は、みんなやめてってしまう!』と言てくれました。そのお世辞を〈勲章〉に、新しい仕事に転職しました。

 私の中学の担任が、いろいろな教材を引っさげて、ベルの前に教室に入ってきて、セッティングをしていたものです。『三つ子の魂百までも』といいますが、そんな中学3年間、社会科を教えてくれ、担任までもしてくれた恩師の仕事ぶりを見ていたので、真似て同じようにするのでしょうか。この恩師には迷惑をかけたのです。退学させられなかったのは、この恩師のおかげだったからです。勉強も素行も何もかも駄目な時期がありました。そんな私を見守もり続けてくれたのが、この先生でした。JR横浜線のある駅名と同じ名前の先生でした。

 高校に進学する直前の中3の長男を連れて、『ここが、俺が6年間学んだ学校なんだ!』と、自分の出た学校を見せたくて、卒業以来初めて母校を訪問しました。その時、恩師は女子部の中学校長をされていたのです。『息子さんは大丈夫ですね!』と太鼓判を押してくれました。ということは、私は大丈夫ではなかった、ということになります。まあ恩師の言うことですから、そうだったことにしておきましょう。もう亡くなられたでしょうか。誰にも連絡先を告げずに、こちらに来てしまったので、連絡の方法がなかったのかも知れませんが。大きな感謝をしたかったので残念でなりません。何だか、最近は、『蛍の光・・・わが師の恩・・・』を歌わないのだそうですね。

(写真は、「あんころ餅(錦盛堂:岡山県倉敷市)」です)」

好きな花は「ムクゲ」

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 「菊薫る十一月」、昔住んでいた家の大家さんが、小鉢に観賞用の背丈の高い菊を栽培をしていて、実に綺麗だったのを思い出しました。日本の国花は、この「菊」と「桜」だと言われていますが、法律的な規定はないようです。春に桜を、秋に菊を愛でるのは、贅沢でいいのではないでしょうか。私が一番好きな花は、「木槿(むくげ)」です。大韓民国、韓国の国花です。東洋的な趣があり、清楚なので好きなのです。どうも日本原産ではなく、大陸からの渡来の花のようです。この花を好むのは、私の祖先は、中国か朝鮮半島の出身なのかも知れません。

 昨日の「中央日報・日本語版」によりますと、『日本人のルーツは韓半島系混血」…日本がDNA分析で明らかに!』というニュースを伝えていました。

 『日本列島の先住民である縄文人と韓半島から渡ってきた弥生人が混血を繰り返して現在の日本人になったという「混血説」を後押しするDNA分析結果が出たと日本経済新聞など日本のメディアが1日、報道した。

  東京大学や総合研究大学院大学などで構成された研究チームが、先月31日、このような研究結果を総合して発表した。日本経済新聞は、「今 までも似たような研究結果があったが、今回の研究は1人当り最大90万カ所のDNA変移を解釈して、信頼性を大きく高めた」と評価した。研究チームは、今まで 公開された日本本土出身者とアジア人・西欧人約460人分のDNAデータにアイヌ族と沖縄出身者71人分のデータを追加して分析した。アイヌ族は紀元前5 世紀ごろから北海道をはじめとする東北部地域に住んできた日本の原住民だ。

  分析結果、アイヌ族は遺伝的に沖縄出身者と最も近かった。その次が日本本土出身者、韓国人、中国人の順だった。また、日本本土出身者 などはアイヌ族や沖縄出身者などより韓国人、中国人と遺伝的にさらに近いと分析された。アイヌ族は顔の輪郭がはっきりしていて白人に似ていて、沖縄原住民 は肌が黒く東南アジアなど南方系に似て容貌上は互いに明確な違いが生じる。

  読売新聞によると、日本列島の本土などでは3000年前以降、 韓半島から渡ってきた弥生人と縄文人の混血が活発に進んだ反面、南北に遠 く離れている北海道と沖縄地域には混血の波及が遅かったという意味だ。それでこれらの地域に相対的に先住民の遺伝的特徴が多く残っているということだ。朝日新聞は、「縄文人と弥生人の混血が日本人の起源になったという説を遺伝子レベルで後押しすることができるようになった成果」と意味を付与した。

  日本人の起源に関連した「混血説」は「二重構造説」とも呼ばれる学説で、東京大学名誉教授の人類学者、埴原和郎(2004年死亡)に より1990年に提唱された。このほかに日本学界には先住民である縄文人が各地の環境に合わせて適応したという「変形説」、弥生人が縄文人を追い出して定 着したという「人種置換説」などがある。研究チームは今後、縄文遺跡で発見された遺骨のDNAを分析して日本人の根元追跡を継続することにした。』とありました。

 そうだったら、兄弟で内輪もめしている場合ではありません。憎み合ったり、そねみ合ったりしないで、血の近さを感じ合いながら、和解をしていきたいものです。豊臣秀吉の時代以降の恨みを忘れていただき、兄弟の契りを再確認したいものです。