次男

 「金環日蝕」がみられた21日の夕刻、次男が緊急入院したと、その翌日になって、シンガポールの長女から電話がありました。22日の午前中の授業を終えた私は、通勤途上の河畔にある公園で家内と落ちあって、『晴れていたらランチを一緒にしよう!』と約束していたのです。川の流れを眺めながら、公園のベンチに座って、お弁当を美味しく食べました。食後に、綺麗に整備されている公園の中を散策してから、家に帰ろうとしていた時に、家内の携帯電話がなったのです。『夕べ、◯◯ちゃんが救急車で、渋谷のH病院に入院したそう。お兄ちゃんからメールがあったけど見た?』といってきたのです。私は、その日は、7時前に家を出ましたので、パソコンを開かなかったので見ていなかったわけです。電話に応対する家内が落ち着いていましたので、大事になっていないことを知って、何とも言えず安心しました。21日には、その朝に撮った「月蝕」の写真を彼が送ってくれ、私が撮った写真もブログに掲載していましたので、お互いに写真をほめ合ったばかりでした。その夕方も、しきりに次男のことが家内と話題になっていました。帰国時には、彼の家に居候している私と家内ですし、3人の子のあとに、少々年数があいて四番目に生まれましたので、特別に可愛いという思いで育てた子でしたから。いいえ、その他の子が可愛くないといっていませんので、念のため。しきりに、次男が私には気になっていたのです。それは不思議でした。

 こういうことを、日本語では、『虫が知らせる!』というのでしょうか。gooの辞書で調べてみますと、『前もって心に感じる。予感がする。「―・せたのか事故機に乗らずに済んだ」 』とあります。「虫」のせいではなく、やはり親子の血のつながりの濃さや強さから来る《感覚》なのかも知れません。夕べ現在、まだ入院中ですが、《院内をぶらぶらしてるよ!》と、彼なりの無事の便り(メール)をくれています。先日は、次兄が仕事を終えて帰り際に、不調を覚えて、自分で呼んだ救急車に運ばれて入院したと、弟から連絡があったばかりでしたから、ちょっと驚きの連続でした。去年家内が救急入院し、この春には母の「葬儀」で帰国していた折にも、家内が救急車で板橋の病院に搬送されたりして(すぐに帰宅を許されましたので念のため)、続いているのには驚かされています。

 

 でも、『大丈夫だよ!』との連絡がありますので、安心することにしています。生きていることの反面に、様々な予期しないことが起きるのですね。いつも、そういった心遣いをしておかなければならないのかも知れません。「病気」は、1つのサインだと思っております。つまり、『体に気をつけて生きよ!』、『健康も生きていることも天賦の賜物ですよ!』といわれているのではないでしょうか。それでも、私たちは生きていることに感謝を覚えながら、生を全うしていかなければならないのではないでしょうか。私の愛読書には、『生きよ!』と、なんどもなんども書いてあります。とにかく、生きようと心が、人を生かしてくれるのでしょう。もちろん天来の祝福があるのですが!

(写真は、東横線「代官山駅」構内です)