「六三三四」とは、小学校3年、中学3年、高校3年、大学4年の就学年数です。16年間の教育、そしてアメリカ人の師匠から、私的に8年間学ばせて頂きましたから、少なくとも24年もの間、教育を受けたことになります。それ以降、東京の大学で聴講生として学んだことが何度かありましたので、それ以上の年数になっているでしょうか。この年数を考えますと、同世代に比べて、結構多いほうだと思うのです。劣等感の強かった私が、それに悩まされないでいいように、高等教育を受けさせてくれた父には、心から感謝しております。その割には、しっかり学ばなかったことは、常々反省をしておりますが。すこしばかり「知能指数」が高かったからでしょうか、父の期待を背に受けて、中高一貫の私立学校に行かせてもらったのです。しかし、その期待に反して三流校にしか合格しなかったのは、父には申し訳なかったと、いまだに思っております。
そんな私ですが、学校の教師になることができ、「天職」だと励んだわけです。退職後、中国にまりました私は、友人たちにめぐり合い、彼らの紹介で、こちらの大学で教える機会を得たわけです。今学期は、学校から、「日本の国情」の講座を依頼されました。昨年末から一生懸命に準備をしながら、16週、32コマの授業で、何を教えるかを考えに考え、書籍等を買い求め、学びながら精一杯の講義ノートを作りました。2年半の間、日本語を学んできた学生ですから、難解にならないようにと工夫をしたつもりですが、自分でも、『ちょっと難しいかな!』と思ってきたところです。専門的な言葉を使わなければならないのですから、『やはり聞く方は大変だろうなあ!』とも感じてきたわけです。そんなこんなで、昨日で13の講義を終えました。よく出席して、聞いてくれたものだと学生のみなさんには感謝しているのです。
昨日は、「日本の教育」について話してみました。古代から現代の教育まで触れてみたのです。話のはじめに、「教育」という言葉について触れてみました。「教育」は、「教える「と「育てる」とからなっているのです。「教」という漢字は、「交わり」と「鞭(棒)」と「子」でなっております。教え手(親)は鞭を用いながら、子に注意を与え、子は、それを受けるといった意味で関わるわけです。「育」は、母が乳房をもって子を養うという意味です。私たち漢字文化圏は、「教育」について、こういった理解があることになります。さて、英語では、「educationn」、「educate(教える)」といいます。この英語は、ラテン語の「educere」から来たことばで、「e」と「ducere」からなる言葉なのです。この「e」は「外に」、「ducere」は「導き出す」という意味の言葉ですから、この言葉の意味することは、『人間には生まれながらに、能力や才能がある。だれもが好いものを内に持って生まれてくるのである。教育とは、こういった子供に関わりながら、その才能や能力や良いものを導き出して上げる働きである!』ということになるのです。
ところが、日本でも韓国でも台湾でも、そしてここ中国でも、やはり「詰め込み教育」が主流のようです。外から教師が、子どもたちに内側に、知識などを注入していく、そういった教育がなされてきております。これは東アジアだけの傾向ではなく、どこの国も少なかれそういった傾向があると思うのです。私は、詰め込まれるのが嫌でしたから、『だから勉強しなかった!』と、不勉強の言い訳をしております。『俺のうちには好いもの、良いもの、善いものがある!』と自負して生きてきたつもりなのです。アメリカ人から学んでいた時に、アメリカの有名大学を卒業した優秀な人と一緒に学んだ時期がありました。テストを受けますと、彼は常に「優」、私は「良」ではなく「可」でした。結果には歴然とした差があったのです。それでも、嫌にならずに学び続けることが出来たのは、この師匠が激励してくれたからでした。このかたが召される前に、『あなたなら私の教えを理解してくれるでしょう!』といって、彼の生涯をかけて研究してきたレクチャーのDVDとレジュメを私に託してくれたのです。それは私にとって大きな喜びとなったのです。
この師匠だけではなく、小学校2年の時の担任、中学3年間の担任、高校3年間の担任、一緒に遺跡の発掘をした教師、大学で『日本思想史」を教えてくれた教師などを思い出すのです。この教師たちが、私に言いたかったのは、『一生が学びですよ!』ということなのだと思うのです。それで、いまだに本を買っては読もうとしている私です。読みながら、横道にそれてしまう傾向は、いかんともしがたいのですが。本が増えてきて、家内の心配の種は尽きないようです。
(写真は、戦後の小学校教育で使われた「国語の教科書」です)