昇りゆく《朝陽》と沈みゆく《落日》、ダルビッシュ有と松井秀喜を、こう例えてみたいと思うのです。この二人の年齢差は15歳ほどですが、野球選手の選手生命の短さから言うと、やはり、こんな風に例えてもいいように思うのです。私の長男も野球少年で、スポーツ少年団から中学校まで、野球部に席をおいて、将来は「プロ野球選手」を夢見ていました。『お父さん。プロの選手になったら、車や家を買ってあげるね!』と親孝行なことを言ってくれたのを思い出します。わが家は毎月家賃を払わなければならない、借家住まいでしたから、彼は身にしみて「自分の家」を持ちたかったのでしょうし、親を持ち家に住んでもらいたいと思ったのでしょうか。実に嬉しい思いをしたことでした。息子とほぼ同じ時期に、それぞれの地で、泥まみれになって玉を追っていた二人ですが、息子は中学を出てから、ハワイの公立高校に進学しましたので、いわゆる「高校球児」にはなりませんでしたが、2年後に卒業した松井は、石川の星陵高校から巨人軍、ヤンキースへと、野球の王道を歩んでいったわけです。
金銭的な面で見るなら、大リーグのヤンキースに鳴り物入りで入団した松井のほうが成功者なのでしょうけど、精神的な面でも職業選択の面から見ても、私の息子の選んだ道は、決して価値のない、劣ったものだとは思っておりません。昨年の「東日本大震災」で被災した街に、月の何日間かを使って、いまだに定期的に訪ねて、水産業の手伝いをしたり、被災者への支援物資を届けたり、話し相手になるといった奉仕を忠実にしていますから、金になる人生は生きてはいませんが、まあ人に喜ばれる生き方をしていることは確かではないか、何よりも彼自身が満足して生きているのです。
この松井秀喜ですが、チームへの貢献も、個人の成績も、素晴らしいものを残しながら野球人生を続けてきております。2009年の「ワールドシリーズ」でヤンキースがチャンピョンシップを奪取した年には、《MVP》に輝いておりますから、アメリカ大リーグで活躍した日本人選手の中では、最も高い評価を受けており、あのイチローに勝るとも劣らないのです。貢献度からしますと、かえって松井のほうが大きいのではないでしょうか。これは簡単には比べられないのですが。その彼が、膝の怪我、故障で、今シーズンは、《浪人生活》のままシーズンを迎えてしまいました。どの球団も、彼に食指を動かさないままだったわけです。初めて未所属のまま開幕を迎えたことになります。ところが4月30日に、「タンパベイ・レイズ球団」とマイナー契約を結んだのです。今は、その3Aの試合に出場して調整をしていると、ニュースは伝えています。
いわゆる、この《干されている経験》というのは、母の病気で練習を休まざるをえず、センターフォワードのレギュラーから外された経験のある私にとっては、言いようのない《悔しい経験》であることが分かるのです。ところが、契約をしてくれる球団が出てくることを願って、黙々と独りで練習を、彼は続けてきたのです。野球環境も文化も言語も習わしも違った社会の中で、そうできる強さこそ、この人の凄さなのではないかと、舌を巻いているのです。いわゆる、《クサラナイ》のです。米のプロの世界は、情実も何も効かない実力の世界ですし、年齢や経験からしてもう諦めてもいい時期でもあるのに、野球への愛を捨てきれないで、機会を窺っている彼の下向きさに拍手したいのです。莫大な経済的な支えがあることは事実ですが(彼は多額の見舞金を被災者に捧げていると聞きます)、好きな野球を続けるために、大リーグとは雲泥の差のある3Aでプレーをするというのは、大選手の誇りからすると、誰でもができないのですが、彼は、そういったものに頓着しないで、機会を待っていたわけです。
並の選手でしたら、挫けてしまいそうな中を、どんな酷評を受けようとも、意思や願いを貫く生き方は、若い人たちに学んでほしいことであります。金稼ぎは、目的ではなく、結果としてついてくるものだと思うのです。機会が与えられ、始めた生き方を好きになって、どんな職業でもいいから、そこに創意や工夫を加えて、楽しく有意義な人生を生きていって欲しいと思うのです。どの世界を生きても同じ、額に汗をかきながら、下向きに生きるなら、その人の人生は輝くからです。私たちは、そうやって生きてきた人々の子や孫やひ孫なのですから。彼の活躍を期待しつつ。
(写真は、HP「こつなぎの写真ノート」から「落日」です)