私たちの住んでいますアパート群の植え込みには、多くの木や花卉(かき)が植えられていて、四季折折の花を咲かせております。この住宅群を設計した方が、住むであろう住民に、細やかな配慮をされたのだということが分って、うれしくなってきます。中には、パパイヤの木もあって、青い実をつけております。その植え込みの間に、最近、芳香を放つ白い花が咲き始めました。そうです、「くちなし(名は、果実が熟しても口を開かないことによる )」なのです。この花は、東アジア、中国、台湾、日本(本州の静岡県以西、四国、九州、南西諸島など)の森林に自生する花だそうで、花言葉は、『幸せを運ぶ・・・清・・・私は幸せ・・胸に秘めた愛 』、とのことです(ウイキペディアから)。甘い香りを放ちますので、多くの人に好まれているようです。こんな歌を思い出しました。
1 いまでは指輪も まわるほど やせてやつれた おまえのうわさ
くちなしの花の 花のかおりが 旅路のはてまで ついてくる
くちなしの白い花 おまえのような 花だった
2 わがままいっては 困らせた 子どもみたいな あの日のおまえ
くちなしの雨の 雨の別れが いまでも心を しめつける
くちなしの白い花 おまえのような 花だった
3 小さな幸せ それさえも 捨ててしまった 自分の手から
くちなしの花を 花を見るたび 淋しい笑顔が また浮かぶ
くちなしの白い花 おまえのような 花だった
この歌は、1973年に、作詞・水木かおる、作曲・遠藤実、渡哲也が歌って、大変反響のあった歌謡曲です。もちろん悲しい実らない恋の歌です。さて、どうして日本人は、「はかなさ」、「かなしさ」、「あわれさ」、「さび」、そして「さようなら」などの言葉を好み、和歌も俳句も詩も、こういった言葉が大変に用いられているのでしょうか。そういった日本語の傾向、日本人の好みには、ときどき驚かされるほどです。ある時の授業で、『どうして日本人は、『さようなら』と言って別れるのでしょうか?』というテーマで、話をしたことがあります。中国語は「再見」、英語は ”good by(God be with you)”、””see you”、朝鮮語は「アンニョン(安寧)ケセヨ(◯◯を持ってお出かけください)」と言いますが、なぜ日本人は、別れの挨拶として「さようなら(さよなら、さらば、おさらば、あばよ)」と言うのでしょうか。もちろん、『ごきげんよう』とか『お元気で』とか『じゃあ、またね』とも言いますが。
それでも、日本で一般的なのは、やはり「さよなら」です。これを漢字で書きますと、「左様なら」「然様なら」です。「さらば」は接続詞で、「それでは」の意味になります。親しい間で使う、『じゃあ』と同じ意味です。ひとつのことが終わって、そこに立ち止まって、次に新しいことに向かおうとするときに、『左様であるなら』『そうであるなら』と確認して決別するのです。日本の学校では、授業の始めと終わりに、『起立、礼、着席』と級長が号令をかけます。「ことの始め」と「ことの終わり」にしっかり区切れを守るわけです。そうしないと、1つ1つの「こと」が進められていかない、日本人の「けじめ」をつける態度、伝統なのです。『そうなら、また明日か、いつか逢いましょうね・・・さようなら!』なのです。
田中英光という作家がいました。1940年に「オリンポスの果実」というベストセラーの小説を発表しました。ロスアンゼルスのオリンピックにボート選手として出場し、その体験記を描いた青春ものでした。その後、中国大陸で兵士として戦い、戦後は共産主義の運動に参加します。しかし精神的に行き詰まり、挫折した彼は、太宰治の墓の前で、服毒自殺をします。1949年、36歳の時でした。彼の作品に「さようなら」があります。この小説の最後の部分で、『ではその日まで、さようなら。ぼくはどこかに必ず生きています。どんなに生きるということが、辛く遣切れぬ至難な事業であろうとも――。 』と書いています。彼の子供たちへの遺書には、『さようなら、お父さんをゆるしておくれ!』とも記してありました。
清楚な白い色と甘い香りの「くちなし」の花によせて、恋を終わらせてしまう歌に、寡黙な日本人の感情は共鳴してしまいます。ハッピーエンドでは面白くないのでしょうか、日本人のセンチメンタリズムを満足させるのは、「悲恋」でなければならないのです。しかし、若い人には、素晴らしい人と出会って、輝いた人生を互いに「伴侶」として、花言葉のように、子どもたちをたくさん生んで育てて、「幸せ」になってほしいと、植え込みの「くちなし」の香りをかぎながら思う、五月の下旬であります。