秋の陽だまりで思うこと

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 「文藝春秋」に、以前、自分の母親を語る欄がありましたし、「毎日新聞」にもオフクロ欄がありましたが、双方とも終了してしまっている様です。その投稿者が、亡き母や老いた母を、思い思いに語っているのです。千差万別、様々な母親の思い出や影響があることを読んで、けっこう面白い記事だと感心していました。『この人にはこんな母親がいたんだ!』と思うこと仕切りです。 年配者が、自分の母を語る語り口は実にほほえましいものがあります。

 とくに男の子にとっての母親は特別な人だと思います。神さまが極めて親密な関係に置かれた関係でして、9ヶ月間その母の胎の中で育まれ、誕生するや自分で飲んだりすることの出来ない赤子だった私たちを、実に献身的に世話をしてくれた育児者でありました。その記憶は全くないのですが、体が覚えているわけです。さらに初めて身近にした女性でもあるわけです。

 30分ほどの散歩道に、三十年ほど前に、1000mほど地下を掘って、湧き出た温泉の掛け流しをしています。そのぬるめになった箇所があって、そこに水が落ちているのです。流れ落ちる温泉水は、小川のせせらぎの様に聞こえて、目を瞑って聞久野が好きで、一番快い箇所に陣取って、温泉浴をするのです。そうするとえも言われないほどの安心感を覚えるのです。きっと、母親の胎内で、羊水に覆われていた頃の水音を覚えているからなのでしょうか。

 駆除か捕獲かに揺れている、熊騒動がにぎやかな昨今ですが、月の輪熊の母子の様子がテレビで放映されているのを観たことがありますが、その関係の影響力は、その子熊の一生を支配するほどの重要な意味が母子の関わりの中にあるのだそうです。生きていくことを学ばさせ、子はそれを習得していくわけです。

 ペンギンでも狼でも猫でも、その母子関係は実に細やかで、実務的な教育がなされていく様子が分かります。もちろん病死などの離別で、母親の思い出や影響の全くない方もおられるのですが、それを神がお許しになられたことを認めるなら、欠けたるところを、神さまは充分に補ってくださるに違いないのです。

 ある方が、『おかあちゃんに会いて-よー!』と泣いて、うっぷした様子を見させて頂いたことがありました。ちょっと酔い加減で、料理屋のカウンターにでした。いくつになっても母は母なのだと思わされたのです。

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 自分の説教を聴かれたご婦人に、《マザコン牧師》と非難されたことが以前ありました。自分の母を誇って語ったことが、その方にはずいぶんと不愉快だったのかも知れません。人には様々な過去と背景がありますから決して傷つけようとしたのでも無配慮にでもなく、母の教えに感謝して語ったのですが。

 同じ母の子でも母に対する思いや評価は、兄弟でも各々に違うわけですから、仕方がなのかも知れませんね。聖書は、

「あなたの年老いた母をさげすんではならない。あなたを産んだ母を楽しませよ(新改訳聖書 箴言23章22&25節)」

と記しています。もう何年前になるでしょうか、86才の私の母が、老いを迎えて、息苦しくなったり高血圧であったりして弱くなってきていました。2度の大病を、主に癒され励まされて越えてきた母がひと回り小さくなってきていたのです。その母の通院に付き添いましたが、駐車場から診察室まで遠かったので、帰りに、母をおんぶしたのです。

 おぶってもらった記憶はありますが、今まで母親を背負う機会がなかったのです。平成の啄木の様に、砂浜ではなく、ビルの駐車場、医院の廊下をニ百歩ほど背負ったでしょうか。『このおじさん何してんの?』といった顔を向ける若者の間を歩みました。やはり軽いんですね。その時「砂の上の足跡」と言うクリスチャンの作られた有名な詩がありますが、その詩を思い出したのです。

 母を95年間、とくに14才の少女の時からおぶってくださったのは、主イエスさまだったことに気付かされた、雨の初冬の夕方で、隣国からの帰国中のことでした。健康が回復され、心配ばかりかけた息子のために、ずっと祈りで支え続けてくれた母でした。あの母があっての今の自分を思う秋の午後であります。

(“いらすとや”の紅葉と熊の親子です)

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