『弁当忘れても、傘忘れるな!』、新潟に行った時に、地元の人からそう聞いたのです。天気予報を聞かなくても、雨の多い地域では、いつ雨が降ってもよい様に、傘持参で外出する様にとの日本海側の街や村で生きていくための勧めです。この地域に降る雨に濡れると、身体を壊しやすいからでしょうか。ところが、アメリカの西海岸で生活する次女家族は、ここに訪ねてくると、小雨程度では、決して傘などささないのです。
雨降りの多い地では、天気の変化を気遣う必要を感じないからです。もう初冬ですが、秋の天気は、男心の様に変わりやすいのだとか言うそうで、一昨日の夕焼けで、西の空が赤くて綺麗でした。だからでしょうか、朝のうち晴れていたのに、9時近くになると雲が出て来て、曇ってきてしまいました。布団干しには困ったことです。
子どもの頃に、夕焼けが綺麗だと、明日は晴れるだろうと言うのを聞いて、そうだったのを思い出します。ここに住み始めて7年ほどになりますが、西の大平山に雲がかかったり、また北の男体山に雲がかかると、さらに東の筑波の峰に虹が見えると、天気の変化があるのだそうです。
ラジオで、今ではネットで天気予報を見聞きできるのですが、雲の動きや山の見え方などで、次の日の天気を知ることにできることに感謝ばかりです。田んぼのカエルの鳴く声だって、雨模様のサインだったわけです。そう言うのを、「観天望気」と言うのだそうです。昔の人は、今よりも季節の移ろいに敏感だったのです。農作業などは、決まった時期に咲く花によって、種まきや刈り入れの時期を決めたりした様です。また猟で獲物を獲ったりするには、気候の変化、雲の動きなどを知ることが重要だったのでしょう。漆を木の器に塗る作業だって、湿度のあるなしで決めていたそ様です。みんな天気と深く関わり合っていたわけです。
中国大陸を、長大な揚子江と黄河が流れていますが、その「黄河」の中流から下流あたり、誇り高い「黄河文明」の中心を、「中原(ちゅうげん)」と呼んでいます。みなさんは中華文明の発祥地だと誇り高く言うのですが、河南省の鄭州市辺りにあたるのです。その地域の気候の一年の太陽の動き、移り変わりを、二十四に区分して、「二十四節気(にじゅうしせっき)」と言います。
私たちの国でも、それに倣って、立春、春分、夏至、冬至とか言って、季節の節目を大切に感じているのです。もう来週は、「小寒(12月5日)」になります。今日あたりの巴波川には、チョコっと流れの畔を歩いて目に入った鴨の数は、百匹ほどだったでしょうか。暑さを避けて、生まれ故郷で夏を過ごして、秋になって帰って来た鴨は、その移動のために、季節の動きをよく知っているのだと感心してしまいます。
黄河下流域と私たちの住む日本とは位置が違いますが、北から南に長い列島の中で、気候は随分と黄河中流地域とは違うのです。今夏など、日本全土は、9月になっても猛暑に襲われたのですが、やっと秋から冬の天候になって、酷暑だったのを知らない鴨たちは、深まりゆく秋、やってくる日本の冬を謳歌するのでしょう。高温記録を更新しているチグハグさを感じてしまう、昨今の気象です。来年は、どうなるのでしょうか。杞憂だとよいのですが。
(“ウイキペディア“の華北中原の冬、巴波川の鴨です)
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