野菜を食べて愛し合うのは、
肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。
『何よ、これ豚肉じゃない。すき焼きは、牛肉でしょ・・・』、映画「三丁目の夕日(ALWAYS)」の中で、知人の少女を、事情があって家に迎えた一家の夕食の折に、この娘(こ)が文句を言った言葉です。父から独立して所帯を持ち、新しい事業を始めるアメリカ人企業家の手伝いで、仕事をやめて彼にしたがって、越していった新開拓地は、私の生まれ故郷でした。この方には、起業の助手として、三人の候補者がいたのですが、なぜか私を選んでくれたのです。『旨いものを喰おう!』という時、この土地の人が最も好んだのが「鮪の刺身」で、日本でも有名なマグロ消費県だったと聞いています。山にめぐりを囲まれて、海産物に恵まれなかった土地柄でしたので、『新鮮な魚が食べたい!』と切に願っていたからです。道路が整備され、汽車が走るようになってから、いままで手に入れることの出来なかった魚を、食卓に並べることができるようになって、最高のご馳走が、「鮪」だったのです。
肉だって、豚肉でした。私たちの家族を夕食に招いてくださった家庭で、「すき焼き」が供されました。その時、『あれ、これ豚肉じゃあない!』と、牛肉だと期待していたのに、違っていたのです。心の中で、あの小学生の少女と同じ事を、私はつぶやいてしまったのです。意外だったからです。父は、自分で〈割下(わりした、砂糖と日本酒と醤油を調合された調味料)〉を作って、特級のロース肉を、すきやき鍋で調理して食べさせてくれました。『卵なんか、田舎者が使うんだ!』と言っていましたから、わが家では卵を使わないで、肉、長ネギ、春菊、焼き豆腐、しらたき(糸蒟蒻)でたべました。そういえば「すき焼き」を最近食べていません。牛肉の値は高かったから、庶民には手が出なかったのかも知れませんので、食べる習慣がなかったのでしょう。『牛肉は臭くってダメだよ!』と食べない理由、言い訳をあげていました。豊かになった現在、健康を考えて豚肉で「すき焼き」を食べる人はいますが、「すき焼き」の定番は牛肉になっています。
この冒頭の言葉は、イスラエル民族の伝統的な書物にある一節です。このイスラエル民族は、「よそ者」とか「流浪の民」とも呼ばれ、とくにヨーロッパ諸国では嫌われ者であったと、歴史が伝えています。ところが、この民族の優秀性というのは、驚くべきものがあるのです。アメリカ合衆国に移民したこの民は、金融業界のみならず、多くの領域で、大変な活躍を見せております。この民族は、美味しい物を食べることよりも、家族の「関係」を一番大切なものにしていたということなのです。昨年でしょうか、一年を表す漢字が、「絆」でした。
野菜といえば〈煮物〉、これは日本食の中の日本食ではないでしょうか。年をとったからでしょうか、野菜を薄味で煮たおかずは、米のご飯には一番似合っているのです。鼻の穴から、牛肉が溢れ出るほどに躍り出て、「豊かさ」を見せていても、愛し合っていなかったら、家庭の機能を果たしていないのです。憎しみ合っている家庭は家庭ではないからです。「愛」ほど、安っぽくされてしまった感情はありません。「人類愛」「祖国愛」「師弟愛」「家族愛」「夫婦愛」など、「愛」はあらゆる関係の《要(かなめ)》なのです。ブラウン管やスクリーンが映しだす、偽愛ではなく、《本物の愛》が、日本を困難の中から回復させ、中国と日本の友好を実現させ、明るい明日を向かさせてくれます。もちろん、牛肉の〈すき焼き〉を食べてはいけないのではありません、念のため!
(イラストは、の「すき焼き」です)