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《脱原発》の動きが急加速していますが、経済が冷え込んでしまうことが懸念されています。電力供給が少なくなったり、不安定供給になってしまったら、生産活動が停滞してしまいます。企業の脱日本、失業問題、収入の減少、購買力の低下、税収入の激減による公共事業や公的扶助の減少、犯罪の増加、青少年の生きる意欲の低下、社会不安はますます大きく強くなってしまうのではないでしょうか。
日本という国を、もう少し《鳥瞰的(goo辞書によりますと『(形動) 鳥が上空から見おろすように全体を広く見渡すさま。”学界の現況を―に論ずる”』》に見なくてはいけないのではないでしょうか。日和見的な小手先だけの〈やっつけ仕事〉では、国力を更に弱めてしまうだけです。目先だけの対策や計画では、戦後60余年の間に築き上げ、獲得してきた国際競争力を低めてしまうからです。
危険なものは、身の回りにたくさんあります。自動車だって、時として凶器に変貌することだってあります。身近の食べ物や飲み物だって毒性を含んでいる可能性は非常に高いのです。大気だって汚染されていて、吸い込めば肺や内蔵に蓄積されます。火山だって、環太平洋火山帯の上に位置しています我が国ですから、いつ爆発するか分かりません。地下から有毒ガスだって噴出しかねません。世情が不安ですから隣人がいつ牙を向いて襲いかかってくるか分からないのです。子どもたちを外出させなかったら学校にも行けないし社会性だって育ちません。しかし、ダイナマイトが危険だからといって、工事現場で使わなければ、作業時間も人員も経費も莫大なものになってしまいます。X線が危険だからといって使わなかったら、癌などの初期治療や処置の機会を失います。昔、天がいつ落ちてくるか分からなので、外出ができない人に会ったことがあります。百年前に生まれた父たちの時代に比べるなら、地球上の危険度は、考えられないほどに高まってきているのです。
でも人は生きていかなければなりません。危険と隣り合わせで生きなければならないのです。そういった社会を作り上げてしまったのですから、後戻りはできません。危険なものをすべて排除するというのは、東京の街に1200万人以上の人が住んでして、狩猟や採取生活を、裸でさせるようなものです。狩猟をする獣も採取する木の実も間に合わないし、21世紀の人間には〈羞恥心〉があって、裸に戻ることなどできません。100%生きられないのです。コンビニだって、スカイツリータワーだってない社会なのですから。危険回避が最終的にもたらす結果が、これです。政権の維持、保身、人気取りでは、日本の今の危機を救うことができないのです。日本を、アジア圏を、世界を、総合的に鳥瞰的に眺めながら、良い案を考えていきたいものです。日本を見舞った「東日本大震災」に対して、世界中から善意が寄せられたことを覚えるとき、世界は協力して、この時代のリスクを共有しながら、より良い世界になる努力を重ねていけると思わされております。
どうしても、我々の世代や父の世代の《つけ》を払わなかれば、もう生きて行けないのです。過大な請求書を、これから生きていく人たちに突き付けられているわけです。無視したり、蓋をすることなどできないのです。体の中に《肝臓がん》を発見して手術を行います。全摘出よりは、部分摘出をして、残った健全な部分を大事にいたわるなら、まだまだ生きていけるます。癌を残して、針で縫っておしまいにはできないのです。ただ死期を待つのみです。地球も全人類も、まだまだ生きていかなければならなのですから。全否定ではなく、上手に危険度を少なくする努力をしながら、人も施設も技術も遺産も、共存社会の中で生きていく以外にないのではないでしょうか。そんなことを、アブラゼミの鳴き声、隣人の大声を聞きながら考えている、引越し10日前の私です。
(写真上は、静岡県の「浜岡原発」、中は、2011年2月1日の「新燃岳」の火山活動、下は、「地球」です)