泉州旅遊

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 先週、この夏に卒業した教え子の招きで、彼女のボーイフレンドと一緒に、〈泉州〉に二泊三日の旅行をしました。彼が、チケット販売所に出向いて、私の旅券を提示して私の分も、前もって買ってくれました。日本のように、その日に乗りたい乗車券を、乗車駅で買えたら、もう少し便利なのですが、数年後には、そういったシステムが導入されるのではないでしょうか。その中国製新幹線(「動車・dong che」)の「和谐号(He xue hao)」に乗り込んだのです。

 日本の新幹線ですが、1964年に開業した東海道新幹線は、この50年あまりの歳月の間に進化して、今は美しい流線型で、まるで地上を飛ぶ飛行機のように感じられますが、中国製は、少しこ小ぶりでしょうか。車内も一様ではなく、様々な客席やコンパートメントがしつらえてあり多様です。ちょっと揺れが大きかったのと、急加減速があり、すれ違い時の風圧の大きさ、またトンネルへの出入り時の耳の詰まりが気になりましたが、これからの更なる改良と工夫が待たれるのではないでしょうか。

 〈改革開放政策〉で中国の経済発展に貢献した鄧小平氏が、1978年10月に、日本を訪問しました。その時、『今回、私が日本を訪問したのは、日本に教えを請うためです。日本は昔から〈蓬莱〉と呼ばれ、不老不死の薬があると聞いています。今回はそれを求めに来ました。不老不死の薬がなかったとしても、私は日本が科学技術を発展させた先進的な経験を持ち帰るつもりです。』と語られたのです。実に謙虚な言葉ではないでしょうか。その時に、東京から京都まで、東海道新幹線を利用しました。その時の乗車は、強烈な感動と印象とを、鄧主席に与えたのです。日本の経済と技術力に、正直に圧倒されておられます。


 中国に帰国された鄧小平氏は、『経済がほかの一切を圧倒する!』という政策を打ち出して、「解放改革政策」を始めます。その代表的な経済政策として、翌年の1979年に、深圳(Shen zhen)、珠海(Zhu hai)、厦门(Xia men)、汕头(Shen tou)を「経済特区」として定め、重点的な経済開発に取り組んだのです。30年経ちました現在、その発展ぶりは天をつくほどのものとなっています。その契機となったのが、鄧小平氏の日本訪問、その日本体験にあることを考えますと、日本の貢献もまんざらではないのかと思って、誇りたい気分がいたしました。今回、乗せていただいた〈動車〉は、鄧小平氏の感動から始まって、全中国の人民が印象づけられ誇っておられるもので、その感動を共有できたことは感謝なことでした。鄧主席がおいででしたら、日本への感謝を、きっと表され、『更に多くの分野で、日本の技術に学びたい!』と、卑下を惜しまなかったのではないでしょうか。流石、大国を大きく好転させた大器であります。

 さて、私が訪問したのは、「泉州」でした。これまで二度訪ねたことがありますが、アジア圏では、過去においては有数の港町で、実に長い歴史を持っている街であることを知りました。香港やマカオ、上海や天津などがまだ小さな海辺の村に過ぎなかった頃に、すでに大貿易港だったのだそうです。「泉州博物館」には、その証拠に、大海に繰り出して航行した帆船が、砂の中から掘り出されて、展示されてありました。その大きさに驚かされてしまったのです。海外交易のゆえでしょうか、この街では、イスラム教やマニ教やネストリウス派が活発に活動をしていたようで、その名残のある街でした。この500万の街の中心に、小高い丘の公園があって、馬にまたがった将軍・鄭成功(Zheng Cheng gong)の像が置かれていました。以前は遠くから見ただけでしたが、この真下に行きましたら、世界で一番大きな馬の像ではないかと思われるほどの大きさだったのです。愛する教え子の博学の父君が、泉州の沿革を細かく説明をしてくださいました。


 動車にしろ、泉州の街にしろ、馬上の鄭成功将軍にしろ、意味ある経験をさせていただいた旅でした。10日の日曜日に、日本の東北地方で、大きな地震があったのですが、泊めていただいた彼のお父さまが、『今、日本で地震がありましたよ!』と知らせてくれました。その日のお昼の北京からのテレビニュースでは、2番目のニュース項目として、この地震を速報していました。反日・抗日ばかりではなく、中国が、隣人としての日本に、強い関心を示してくれていることを改めて知って、とても嬉しくなってしまったのです。経済発展の鰻登りの途上にあり、計画以上の隆盛を見せ、すでに日本を追い越してしまい、アメリカに追いつことしている勢いを感じざるを得ませんでした。確かに発展の陰に問題もありますが、これからの解決の課題として、真正面から取り組もとしている息吹も感じられたのです。中国のどの街でも、みなさんの顔の表情が、初めて訪問をした15年前よりも、明るく輝いているの感じさせられました。


 かつて世界が日本を羨ましく妬ましく、その発展ぶりを眺めていたように、今日日、中国の発展はアジアやアフリカの諸国の羨望の的のようです。経済ばかりではなく、様々な分野においても、発展が急加速することを心から願っています。歓待してくださった、お二人のそれぞれのご両親とご家族に感謝し、マンゴウ、鉄観音、茶器、はちみつ、パンなどのお土産を手にイッパイにして、旅を終え、住み慣れた家に帰り着きました。謝謝!

(写真上は、お孫さんと一緒の「鄧小平氏」、中1は、中国製新幹線「動車」、中2は、泉州の丘の上で台湾を見つめる「馬上の将軍」、下は、砂に埋没され発掘された「帆船〉です)