だって!

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 『嘘の公約で、政権を奪取しました!』、ラテン語だかイタリア語だか分かりませんが、マジックをかけたような、耳に響きの良い《マニフェスト(「共産党宣言」にこの語が翻訳に当てられています》」という語句を使って、口先の術で、国民を煙に巻いて騙したのだということを、今朝のニュースが伝えていました。政権を掌中にしてから、『財源の見通しが甘くて・・・』と先の選挙時の約束破りを、理由をつけて陳謝したからです。初めから実現性のない約束をしておいて、今になっての謝罪するとは、ただただ呆れ返るばかりです。昨年帰国時に、保守的だった次兄が、一生懸命に民主党(旧社会党)の代議士候補を応援しているのを見て、『どうして?』と驚きました。

 私の政治的背景は、曾祖父がK県の県会議員をし、県会議長もしたと聞いていましたし、国民の総意、いえ天意で長く政権を守り続けた政党を支持するのが一番だと、無言のうちに父にも教えられて来ましたから、保守陣営を私は支持してまいりました。人の集まりですから、完璧ではないことは十二分に承知しておりました。汚職や法からの逸脱など、問題がありましたが、総じて高評価を私は下してきました。吉田茂も、鳩山一郎も、石橋湛山も、田中角栄だって、戦中の名宰相の広田弘毅とともに、好きな政治家でした。ブログを読まれて、もうご承知と思いますが、このように自分の政治の背景を表明するのは、初めてのことです。

 それにしても、今日日、自民党にも、『この人ならば!』という器を見いだせないのが残念でなりません。国会答弁を聞いていて、溜飲の下がる思いをしたことのある亀井静香は、離党してしまいましたし、中川昭一は、急性心筋梗塞で、惜しくも亡くなってしまいました。「昭一さん」には、ぜひ、いつか政権を委ねたいと思っていましたので、その急逝を非常に残念に思ったのです。憂国、愛国、国際平和を願う世界人、『子供たちが日本に生まれたことに誇りを持てる教育を! 』と願う器が育っているのことでしょう。現政権は早期に退陣して、こういった器が担ぎ出されることを、切々として願うのであります。健全な政治信条を掲げて、希望に満ち溢れる国づくりに邁進してくださるリーダの台頭を切望します。


 奴隷として売られた国で、王に次ぐ第二の位について、国政を司った器がかつておられました。この器は、世界が大飢饉に瀕したときに、驚くほどの知恵を用いて、飢饉前の大豊作期に、莫大の量の穀物を備蓄したのでした。長期にわたって世界が大飢饉に陥ったとき、世界中の国々から、この備蓄された食糧を求めて彼のもとにやって来ました。その中に、彼の属した民族の代表がいました。この民族が滅びる事のないように、『天意によって、自分は前もって、この豊かな国に遣わされたのだ!』との告白を残しています。この大災害の後の復興のおぼつかない我が国、将来復興の見えない日本、あらゆる面で低迷している日本、どのように政を司ったらいいのか全く分かっていなくて右往左往している政権に落胆させられている日本、そんな日本に、世界中が激励メッセージを送り続けています。テニス選手のシャラポアが、被災国日本に心を向けてると聞きました。私たちの中国の友人たちも日本の復興を心にかけていてくれます。「なでしこJAPAN」が起死回生の快挙を遂げてくれました。なによりも戦争後の廃墟から立ち上がった父や祖父の時代の根性の〈遺伝子〉を、現代の日本人が確りと受け継いでいるのですから!

 だから、手前味噌な、私利私欲な、小心翼翼な器に代わる、謙遜で国と国民を愛する首長の就任を心から願ってやみません。奴隷として砂を噛むような青年期を過ごし、その才覚を認められて世界を襲った滅亡から救った、「ジョセフ」のような宰相がいたら素晴らしいですね。このところ、そんな事ばかり考えております。日本の現状を憂い、日本を愛するからです。だって!日本には、年老いた母がいて、息子たちがいて、孫たちがいて、兄弟姉妹・友人・知人・同胞がいて、彼らが輝いた明日を生きて行けるように願うからであります。「一家人(yi jia ren)」の幸せを!


(写真上と下は、日本のための「祈り」、中は、王に進言する「ジョセフ」です)

危惧

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 「七十年安保」に反対した闘争が、1968年頃から激化し始めていました。日本中の高校や大学を席巻し、学業や研究どころではなくなっていました。まるで戦乱の最中(さなか)に、日本が放り込まれたかのような喧騒と怒号があふれていたのです。67年に学校を終えて、JR市ヶ谷駅や九段に近いところに本部があり、研究所と研修センターは、都下の織物の街・八王子にあり、そこに勤めていました。4年目の正月を迎えた頃、中野区内の高等学校からの招聘があって、そちらに卒業証明書などを提出する必要がありました。それで、久しぶりに母校に行ったのです。

 バス停を降りて校門に向かって右に曲がったとき、私の眼に校門が鉄条網で何重にも巻かれているのが目に入りました。安田講堂の占拠、新宿駅の騒乱、多くの大学の閉鎖は、テレビの映像で観ていましたが、自分の出た学校までもが同じだったのです。構内に入るには、人一人が出入りできるだけの隙間があるのみでした。早慶のような知名度はないにしろ、自分の母校の変わり果てた様子は、悲しいというよりは、〈憤り〉を覚えました。授業は行われていませんでしたが、事務室は開いていて、書類の発行をしていただいたのです。

 私は、デモや投石やゲバ棒による社会改革など、全く考えたことがありません。徒党を組んで権力に反抗するような主張にも反対でした。ほとんどの日本人、学生も社会人も、そう考えていたと思います。そういった主張は、中国の紅衛兵運動から始まって世界中の若者を巻き込んでいた時代だったとかと思いますが。日米安全保障条約が自動延長することに、賛成派だったからもあって、極東の緊張の中で、緊密で親密な日米関係は必要不可欠だと、私は思っていました。自衛隊があることも、警察庁に公安部があることも、国の安寧秩序を守るためには、あってしかるべきだとの結論を下していたのです。何よりも、国土も文化も生業も、先達たちが守り残してくれたもので、それらへの感謝が心の中にあるからです。しかし、かつてのような侵略戦争に賛成しているのではありません。国を脅威から守ることは、国の当然の行為であり、平和を願う一人の国民として市民として当然だと考えていたからです。


 私より二回りほど年配のアメリカ人実業家は、『私は、家族を守るためには、家に侵入して害を与えようとするものに向かって、銃をとります!』と言うのを聞きました。彼が日米の太平洋戦争に従軍した兵士だったからではなく、ひとりの市民として家族を守りたいとの心情からの思いなのです。彼は平和を愛する、実に穏健なものの考えを持たれ、人柄はとびっきり柔和な方でした。こういった方の考えの基調は、「義」や「愛」や「平和」なのです。私の愛読書には、『・・・義と・・・愛と平和を追い求めなさい。愚かで、無知な思弁を避けなさい。それが争いのもとであることは、あなたが知っているとおりです・・・争ってはいけません。むしろ、すべての人に優しくし、よく教え、よく忍び、反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。 』と書いてあります。

 こういった学生運動の中に、現首相、前官房長官などがいました。この二人は、かつては官憲に刃向かってゲバ棒を振り、火炎瓶を投げ、「浅間山荘事件」で内部ゲバでいじめや殺人を犯した赤軍派と、同じようなスタンディングをとっていたものなのです。所属した派や犯行の仕方こそ違っていても、彼らは大同小異、暴力による反抗集団の一味で、目指していたのは国家転覆だったことは間違いありません。ただ彼らの、その頃を知っている方の話ですと、この二人とも、浮腰で小心翼翼として、第四列目に位置していつでも逃げ切れる位置を確保しており、前線で火炎瓶を投げていた学生の弁当運びをしていたのだそうですが。煮え切らない、燃え切らない学生運動家、挫折した中途半端な学生運動家でした。しかし、一国の首長になっても、その〈反抗心・暴力革命の心〉は持ち続けているに違いありません。最近のニュースによりますと、北鮮の拉致に協力した犯罪者の子が所属する政党に、5000万円以上の政治献金をし、彼の属する政党からも1億数千万円の献金をしてきたのが、現首相だと報じています。


 どうしても日本が心配です。一国の政府の首脳が、このような過去を持つというのは、どうしても悲劇で、今後の動向が危惧されて仕方がありません。今こそ、上杉鷹山のような、西郷隆盛のような、広田弘毅のような人材が、国に求められているのではないでしょうか。清廉潔白で、判断力と決断力に富み、愛国の志を持つ、少なくとも五十代前半の政治家の出現を望むものです。そういった器が、備えられていると信じる七月の下旬であります。繰り返して、同じことを申し上げたいのです。

(写真上は、「母校」の玄関脇の様子、中は、「70年安保」の様子〈四列目にカンがいますか?〉、下は、上野の「西郷隆盛像」です)