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『もう4年もすると楢山様かな!』、150年も前に、信州か甲州の山里に生まれていたら、息子に背負われて、〈楢山参り〉をすることになるのでのでしょうか。いまだに世界有数の経済大国であることからするなら、想像もつかない時代が過去にあり、恐ろしく悲しくて残酷な習わしがあったことを思い返して、昨日は考込んでしまいました。『お父さん、まだ若いんだから、弱さを告白しないでね!』と娘たちに、よく言われましたが、私の生まれた山と山がせめぎ合った渓谷を深く入り込んだ山里は、米も取れないで、蕎麦か〈黒平十六〉という豆や芋が取れるくらいでした。父の会社に働いていた方の中にも隣近所にも、平家の落人の部落だったに相違なく、〈藤原姓〉の家が多かったのです。そこには姥捨の伝統はなかったと思いますが。
私が、そこで生まれたときに、その藤原姓の村長さんの奥さんが、産婆がわりに私を取り上げてくれたのだと、母に聞いています。ですから村長の家に行きますと、玄関には、彼らの孫のではなく、私の写真が飾られてあったのだそうです。私の父の会社の鉱石集積場には、山奥から〈索道(ロープウェイ)〉で運ばれた防弾ガラスの原材料である〈石英〉が山積みにされていました。そこからトラックで街の国鉄貨物駅に運ばれて、京浜地帯の工場に搬出されていたのです。兄たちは、その索道に乗って、山を往復したと言っていましたが、幼い私には、その許可を父はくれませんでした。何時でしたか、長野県飯田市の昔の写真を見ていましたら、私がうる覚えのある索道の写真があったのです。
なぜ、ちょっと考え込んだのかといいますと、深沢七郎原作で、今村昌平が監督をした映画、「楢山節考」を観たからなのです。それで、『もう4年もすると・・・』と思わされたのです。この映画は1983年に、カンヌ映画祭で、「パルムドール」という賞を得て、世界が、日本の映画製作の優秀さに注目することになった秀作だったのです。そこに描かれている習俗、〈姥捨て〉は、どこの国、民族にもあるのでしょうか。貧しさが改善されないで、長生きをすると、〈穀潰し(ごくつぶし)者〉と呼ばれて捨てられるか、自分でそう決めて捨ててもらうかを、なんと七十歳で決めなければならないのです。諏訪湖を通りすぎて間もなく、中央高速から離れて長野道に入って、しばらく行きますと、「姥捨サーヴィスエリア」があります。山梨県生まれの深沢七朗の作品ですが、山梨ではなく長野県にあることを知って、意外だったので驚いたことがありました。山芋の〈とろろご飯〉を、姥捨サーヴィスエリアの食堂で食べたのですが、ちょっと複雑な味がしたのです。〈棄老伝説〉からの命名ですが、その呼称を変えてもらいたいような気持ちがするのは、私だけでしょうか。まあ、なるべく近づかないのがいいのかも知れませんが。
姥捨の伝説だと、一度は母親を捨てたのですが、村に問題が起こって、その解決のための知恵は、自分の老いた母親にあるということで、母が連れ戻される、そう聞き覚えていましたので、そんな展開を期待していたのです。『何時、連れ戻されるのだろうか?』と思っているうちに、スクリーンが暗くなって、「終」と出てきてしま射ました。期待外れでしたが、どうも私の思い込み違いだったようです。山に神さまがいて、『お呼びになっていいる!』ことなど決してないのに、そう信じ込まされて、家族の迷惑にならないようにそっと身を引く、坂本スミ子演じる老婆の〈おりん〉ですが、私よりも3歳年上なだけなのです(坂本の実年齢は39歳でした!)。ちょっと、ショックでした。若い時に、この作品が刊行されたのを知っていましたが、読もうと思いませんでした。ずっと先の話だと思っていましたから、『年をとったら読んでみよう!』とは思っていましたから、映画鑑賞が読書に先行してしまったわけです。もう一つショックだったのは、〈爺捨て〉もあることでした。大体、統計学的にも生理学的に、女性は長生きで、男は早死ですから、〈爺捨て〉以前に召されるのが一般的なのですが、元気な私は、今、ちょっと怯えております、はい。〈姥捨サーヴィスエリア〉、〈楢山(小説上の山ですが)〉と、なるべく息子たちに近づかないのがいいのかも知れません。昨日生まれたばかりなのに、ああ、光陰矢のごとしです(光阴似箭guang yin si jian)。
(写真上は、「楢山の沢(?)」、下は、映画の「宣伝スチール」です)