この違いの感謝を

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Looking down on a yellow softball in a brown leather glove with a red baseball cap and an aluminum bat sitting in the grass with a green padded wall in the background

 

 〈ジイのひがみ(僻)〉と言われようと何のその、プロスポーツ界に見られる〈契約金〉の額の凄さに、目の玉が飛び出しそうです。大卒初任給25000円(1967年国家公務員給に準ずる初任給)と言うことで、社会の中に飛び出しました。今年の高校野球からプロに入る、ある若者の契約金が、〈一億円〉なのだそうです。

 やってみました、割り算です。4000と出ました。プロ野球チームと契約した高校三年生の若者初任給が、私の時代の初任給の四千人分になります。45年前の貨幣価値と今とは違うのですが、単純比較の結果です。

 先頃、アメリカの球界と契約を結んだ吉田正尚選手は、レッドソックスと〈5年総額9000万ドル(122億円)〉の金額での契約だそうです。サッカーにしろ野球にしろ、普通人との差の大きさに開いた口が塞がらないでいます。

 人生の目的がお金だとするなら、彼らは成功者ですね。73歳で、27才で始めた伝道者の仕事(実務)から、家内の病気を機に退きました。スーパーマーケットやコンビニの床掃除、スーパーマケットの青果部のパート、結婚式の司式をしながら、〈四足の草鞋〉を履き替えて牧会伝道をしながら4人の子を、家内と一緒に育てました。

 とにかく〈分を果たした〉と言う思いでおります。私のような者が、福音宣教の業に携われたとするなら、人の側からするなら奇跡ですし、神の側からするなら、きっと「憐れみ」だったことでしょう。〈大学で教える〉、これが私の学校を出る頃の人生設計でした。能力の問題ではなく、世渡りの術ででした。

 私が奉職した学校には、短期大学がありました。責任をとって声を掛けてくださったのは、その学校の社会科教科主任をされ、私が就職した時には、短大の教授で教務部長をされておいでの方でした。いわば、〈師匠と弟子〉の関係でした。数年の後に、短大で教え、将来、ある大学の講座を持つようなレールの上に、〈大師匠〉に置いてもらっていたのです。

 九州の福岡の教会の留守を任されていた兄を、出張途中に訪ねた時に、私の人生が変わり始めたのです。兄が東京に戻り、教会の責任を受けた時、ニューヨークから神学校の教授が来られ、特集で私の頭に手を置いたのです。その時、《聖霊のバプテスマ》を受けたのです。

 その異言を語っている間、イエスさまの十字架の死が自分の罪の身代わりだと言うことが分かり、同時に『伝道したい!』と言う願いが突然、私の心を占めたのです。野心があった私でしたから、その後、普段の生活の中で、その思いを消そうとたのですが、消えませんで、なお日毎に強くされていったのです。

 兄に責任を委ねたアメリカ人宣教師は、新しい地での開拓伝道をされようとしたのです。何人かの候補がありましたが、けっきょく私を連れていくことを決め、『どうですか?』と打診されたのです。私は、躊躇することなく二つ返事をして、着いて行くことに決めました。学校に退職届を出したのです。けっきょく、この社会で〈不義理〉をしてしまったのですが、《教会の主》から召命と確信してでした。8月になったら出発とのことで、母教会のメンバーの方の鉄工所でアルバイトをし、お嬢さんの家庭教師も始めたのです。

 『キリスト教の伝道をするって、そんなにいい給料がもらえるんですか?』と、そこの従業員の方に聞かれ、返事ができませんでした。出掛けた地は、私の生まれ故郷だったのです。父の友人が果物商で、市の中央青果小組合の理事長をしていておいででした。この方の紹介で、卸商の方が競りで買った青果を、車に積む仕事を始めたのです。パウロの伝道生涯が、Tent maker(天幕作り)であったことに励まされてでした。午後はトラクト配布、夜は聖書学校でした。

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 この50年、辛いこともありましたが、やめようとは考えませんでした。『来てください!』が忘れられず、隣国に出掛け、13年の間、学校で日本語を、週2日教えました。そう、若い日の願いが、お隣の国の大学で叶えられたのです。そして群れの建て上げの手伝いを、家内と共にさせていただきました。実に祝福の溢れる年月でした。

 礼拝出席を、〈パーティー参加〉と言う隠語を使っての知らせを理解してもらえず、遊んでばかりいると言われたこともありました。あちらこちらの群れを訪ねて、講壇には立ちましたが、みなさんに教えらることばかりの年月でした。いつもいてくださったのは、

 『私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。(ヘブル415)』 『主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。(同218節)』

 「教会の主」、イエスさまが、いつも助けてくださった年月だったのを思い返して、また新しい年を迎えられるのを感謝しています。ウクライナ戦争、これが発端になって、第三次大戦を引き起こしかねない情勢ですが、助けてくださるお方と共に、どんな事態の元でも生きていきたいものです。

(上海の外灘、路地裏の風景です)

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