太初に道(ことば)あり

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 人生に必要なものについて、チャップリンは、『人生は怖がりさえしなければ素晴らしいものになる。勇気と想像力と、ほんの少しのお金だ!』と言ったそうです。ラルフ・エマーソンは、『その日、その日が「一年で最高の一日である」と心に刻め。』と言いました。あなたの必要は、なんでしょうか。

 絵本の出版社として有名な「福音館」の社長をした松居直は、『空気と水とことばです。』と言っています。さすが児童文学者です。人は人格を持ち、「ことば」を語り聞くと言う交流のできる神の被造物ですから、「ことば」が必要だと言うのは至言ではないでしょうか。様々な語り手がいて、世は「ことば」で溢れています。大切なのは、《だれに聞くか》です。どんな動機で、どんな背景から語ったかに注意しなければなりません。

 主の弟子のヨハネが記した「ヨハネの福音書」と「ヨハネの手紙」には、次のようにあります。

 『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。(ヨハネ1:1)』

 『初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、--このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。--(1ヨハネ1:12)』

 ここで「ことば」と日本語に訳されたのは、ギリシャ語の「ロゴス logos / λόγος 」で、アラム語では「メモラ」と言うそうです。アラム語と言うのは、イエスさまの時代の日常会話のことばで、父を「アバ(マルコ14:36)」と聖書に記されたのと同じ日常語のことばです。「メモラ」は、「神が人の目で見える形で顕れてくださったお方」、「神の契約の仲介者」、「救いをもたらすお方」などと言う意味を含んだことばだと言われています。深く細かな意味を含んだことばのようです。

 家内の母は、学生の頃、神田の古本屋街を、何度も「真理」を探し歩いたそうです。終戦後、上の娘が、駅前でもらった、「約翰傳(ヨハネの福音書の文語版)」を読み始めて、「太初に道(ことば)あり道は神と偕にあり道はすなわち神なり」の「ことば」が、義母に関心の的になりました。

 その頃、栄養事情が悪く、肋膜炎を起こして、東京の郊外の清瀬にあった「結核病院」に通っていました。病友に女子大生がいて、医師の不用意な〈ことば〉を聞いて、ショックを受けた女学生は、その晩に亡くなったそうです。権威や立場のある人の言葉の重さに、人の死期を早めるような〈ことば〉を使った、その医師を、義母は責めたのだそうです。

 そんな時期に読み、出会った「神の子イエス」を表す「ことば」を知ろうと、冊子を配ったアメリカ人宣教師を訪ねたのです。問答を重ねて、ついに、「ことば」である神、十字架で、信じる者の罪を負って身代わりに死んでくださった、イエスをキリストと信じたのです。101歳で召されるまで、信じ続けて、安息に入ったのです。

 私の母は、聖書が語る「ことば」を聞いて、神さまが「父」であることを知って、父なし子の欠けを、私生児の惨めさや孤独を埋め合わせて余りある「救い」に預かりました。95歳で召されるまで、信仰を持ち続けたのです。

 『ふたり(パウロとシラス)は、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。(使徒16:31)』

 義母も母も、イエスさまを、「主」と信じたことで、永遠のいのちに至る「救い」を自分のものにしました。そして子や孫やひ孫である、家族に、その「救い」が及んでいるのです。聖書には、神のことばが溢れていて、私たちに永遠のいのちを得させてくれます。

(聖所に置かれた「燭台」のイラストです)

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